投票参加における義務感の構造

高木麻子

 現在、日本を含めた多くの国々で低投票率が問題となっている。これは民主主義の前提である選挙への参加が、すべての人々にとって実現可能な行動ではないことを示している。実際、投票参加を実行するにはさまざまなコストが伴う。投票所まで足を運ぶ、選挙に関する情報を集めるといったコストは、多くの有権者にとって大きいものであろう。しかし、低投票率が問題になるといっても、そうしたコストを払ってもなお選挙に参加する人々が相当数存在している。この矛盾は、選挙から得られる長期的利益の大きさによって説明されてきた。すなわち、長期的利益がコストを上回る場合に、有権者は投票に参加するのである。この長期的利益には、投票という有権者の義務を果たすことによる満足感が含まれる。投票義務感が高い有権者はこの満足感がコストを上回るので、投票に行くことは合理的なのである。日本では、投票参加における投票義務感の効果が強いことが知られている。  この投票義務感がどのような性質をもつのかはこれまで明らかにされてこなかった。先行研究では、投票義務感が公民の教科書的な「市民としての義務感」であることは示唆されているが、それと同時に、「社会的な圧力に応えるものとしての義務感」である可能性も指摘されている。日本において投票義務感が効果を持つのは、それが社会的な圧力を背景にしたものだからではないか、というのである。前者の義務感を「市民的義務感」、後者を「社会的義務感」とした場合、それぞれはどのように育まれ、投票参加にどう結びついているのだろうか。本研究では投票参加を促進する要因としての投票義務感に着目し、その効果と、投票義務感の規定要因を明らかにすることを目的とした。投票義務感の効果のみならず、何がその投票義務感を規定するのかを検討することは、現在見られる低投票率のひとつの答を探ることに他ならないためである。  市民的義務感は、政治的社会化の過程で養われる。われわれは、決定に関与したり、メディアを介して多用な意見に触れたりする経験を通じて、民主主義社会で認められる行動や考え方を身につけていくが、その過程で市民的義務感もまた学習されるだろう。一方の社会的義務感は、社会的圧力を感じやすい環境にあること、あるいはそうした環境で生活した経験によって強められると考えられる。具体的には、価値観などが固定化される時期である青少年期に過ごした地域の規模や、上下関係を重視するなどの伝統的な価値観が影響するだろう。  この議論を検討するために、東京都足立区の有権者を対象にアンケート調査を行った。その結果、投票参加においては市民的義務感は効果を持つものの、社会的義務感は効果を示さなかった。その理由としては、社会的義務感を測定するために設定した調査項目が不適切であった可能性がある。「社会的義務感」が、社会的圧力に応える意味での義務感ではなく、政治に対して受身的な有権者の一面を測っていたと思われる。また、市民的義務感の規定要因としては、団体参加および政治的会話量が効果を持ち、政治的社会化の過程で養成されるという仮説は支持された。社会的義務感は、伝統的価値観のみが効果を示した。  有権者がみな市民としての義務感を豊富に持ち、投票に参加しているという姿は、理想的ではあるが現実味に欠ける。本研究では明確に示すことはできなかったが、人間関係の中で何らかの圧力を感じ、それによって選挙に向かっている状況が現実なのではないだろうか。今後は、社会的圧力をどのように測り、それに対する有権者の反応をどうとらえるのか、改善すべき余地があろう。