本研究の目的は,精神的に問題を抱えている人に対して私たちが何となく抱いてしまう心理的な距離感を規定する要因を探り,どうすればその距離感を縮めることができるかを検討することであった。そこで,まず心理的距離感を測定するための従属変数として,Bogardus(1925)のsocial distance scale(社会的距離尺度)を援用することとした。
次にその規定要因として,まず抑うつ症状の経験頻度などを考えた。これについては自分の日常的な軽度の抑うつ経験,自分のやや重度の(カウンセリングを必要とするレベルの)抑うつ経験,身近な他者(家族など)の抑うつ経験,そうではない他者(知り合いなど)の抑うつ経験の4種類を尋ねた。
また,近年はうつ病も含めた広い意味でのメンタルヘルスに関する啓蒙活動(厚生労働省や保健所・病医院などによるチェックリストやパンフレットの作成,新聞・テレビの健康番組・記事における特集,精神的な疾患を克服した芸能人の体験記など)が増えてきているので,その認知の度合いを要因に加えた。
次に,世の中には様々な人がいるのだという多様性の認知度が高い人は心理的距離感が短くなると考え,要因に加えた。また,うつ病に関する正しい知識および理解の度合いが高いほど心理的距離感が短くなると考えた。さらに要因として,内的コントロール感の強さを考えた。これは,単に知識の量が多いことに比例して距離感が短くなるとは言えず,内的コントロール感が強い人,すなわち,うつ病の人と関わっても自分が抑うつ症状の影響を受けないと思っている人でないと距離感はむしろ長くなるだろうと考え,干渉変数としてモデルに加えた。
そして,これらの要因に関して4つの仮説を立てた。
◎仮説1「知識・理解度が高く,内的コントロール感の強い人ほど,うつ病の人に対する社会的距離は短くなる」…これは先に述べた通りの理由による。
◎仮説2「抑うつ経験がある人は,ない人に比べて知識・理解度が高く,社会的距離も短くなる」…自分や周囲に抑うつの経験があれば,うつ病に対しても関心が向けられるはずであるし,実際にうつ病になった人の気持ちも理解しやすくなるのではないかと考えた。
◎仮説3「多様性認知度が高い人ほど,社会的距離が短くなる」…世の中にはいろいろな人がいるという人間の多様性をよく認知している人は,心が広いということにもなるから,うつ病の人のことも特別に異常だとは思わないのではないかと考えた。
◎仮説4「啓蒙認知度が高い人ほど,知識・理解度が高くなる」…メンタルヘルスに関する啓蒙活動をよく認知していれば,それだけ知識も豊富である,という仮説なので,これは自明ではないかと考えた。
さらに性別・年齢・職業などのデモグラフィック要因を統制変数として加味した上で,以上4つの仮説の検証を行った。
検証の方法は郵送による調査であり,対象者は千葉県松戸市在住の20歳以上の男女800人であった。サンプリングにあたっては選挙人名簿からの二段階確率比例抽出法による無作為抽出とした。有効回収数は256通,有効回答者数は792名であったため,回収率は32.32%であった。
その結果,1つ目の「知識・理解度が高く,内的コントロール感の強い人ほど,うつ病の人に対する社会的距離は短くなる」という仮説はほぼ支持された。2つ目の「抑うつ経験がある人は,ない人に比べて知識・理解度が高く,社会的距離も短くなる」という仮説は支持されなかった。3つ目の「多様性認知度が高い人ほど,社会的距離が短くなる」という仮説は強く支持された。4つ目の「啓蒙認知度が高い人ほど,知識・理解度が高くなる」という仮説は傾向として示されるにとどまった。
他にも「内的コントロール感の強い人ほど軽度の抑うつ状態を頻繁に経験している」というこれまでとは異なった知見も示唆されたが,抑うつ状態の経験頻度は社会的距離とはほとんど関係がないことも分かった。うつ病の人に対する心理的な距離感を縮める要素は,第一には正しい知識・理解をしっかりと持っていることであるが,それを強化するためには世の中の人々の多様性を強く認知させることや,マスコミや官公庁が行っている啓蒙活動をもっと知ることが必要である。それには私たち自身の努力もさることながら,教育現場で外国人や障害者の人など“異質な”人たちと接する機会を増やしたり,厚生労働省が広く国民に向けてメンタルヘルスの重要性を呼びかけたりするなど,行政の積極性ももっと必要であることが示唆される結果となった。