団塊の世代はその数の多さから、さまざまな意味で日本社会に大きな影響を与え続けてきた。彼らは旧来の価値観を否定し、前世代の文化や土地を離れ、「ニューファミリー」に見られるような新しい独自の文化を創り出してきた。団塊の世代は、今多くの世代に根付いている文化の創始者といえる。
2007年から団塊の世代が「定年」を迎えるため、現在またこの世代の動向に大きな注目が集まっている。団塊の世代に対する介護の問題が具体的なものとして叫ばれるのも、そう先のことではない。では、常に新しい風を時代に吹き込んできた団塊の世代は、もうすぐ高齢者の仲間入りを果たすにあたって、一体どのような被介護観を持っているのだろうか。
佐田(2003)は、2002年2月の電通による調査結果をふまえて、団塊の世代は、生活を楽しむための情報収集が、前の世代と比べ、より積極的になっていると述べている。つまり、団塊の世代は前の世代よりも、自分の好みに合ったものを主体的に選べ、組み合わせることができると考えられる。ということは、団塊の世代はこれから介護を受けるというシチュエーションにおいても、前の世代に比べ、より選択のできる環境を重視するのではないだろうか。このような疑問から、以下のような仮説を立て、調査を行った。
団塊の世代は、その人数の多さから人生の様々な局面において同世代間の競争を強いられてきた世代である。他世代に比べて激しい競争を経験してきた彼らは、自分の生活を自分の力で満足のいくものにしていくという意識が強く、ある現状をただ受け入れるのではなく、自ら進んでどうすればよいか考え、行動を起こし、選択・決定していきたいと考える。つまり彼らは、ローカスオブコントロールの内的統制は高く、外的統制は低い。その結果、自分が将来介護を受けることになったときに、従来の高齢者よりも自分が主体的に選択のできる環境を重視する。
このような仮説を検証するため、55歳〜75歳の埼玉県川口市民を母集団とし、そこから二段階確率比例抽出法によって800人を抽出し、郵送調査を行った。仮説に使われる変数の他に、団塊の世代に特有と言われている反同調、独自性欲求の概念についても測定を行い、団塊の世代との関連を調べた。
その結果、年代間で競争意識の差は見られなかった。年代によって競争してきたという意識の違いがあるわけではなく、これは男性、特に家庭を持った男性であったり、独自性欲求という個人内の意識を持っている人に顕著な特徴であるということが明らかになった。人生において競争を経験してきたという意識は、ローカスオブコントロールの内的統制を直接高める効果が見られたが、外的統制を直接高める効果は見られなかった。人生において競争を経験することが多ければ多いほど、受身で結果を待つのではなく、自分自身で主体的に物事に取り組み、結果を独自に切り開いていく必要性が生じる。従って、自分自身の努力が良い結果を導くというのは、競争を経験してきた人ならではが、自己の体験を通して意識していくことなのだろう。しかし、人生において競争の経験が豊富だったとして、それによって自分の努力や働きかけが功を奏すという意識は生まれても、運やなりゆきを否定するまでには至らないということであろう。ローカスオブコントロールには介護において選択のできる環境を重視する効果は見られなかった。むしろ、外的統制の低さから介護意識への有意な負のパス係数が確認された。もしかしたら、今回の調査で質問した「介護される環境」自体が、ある意味外的な環境になりうるということかもしれない。「介護」そのものが、自分の意志とは無縁の、外的な統制だという意識が人々の間にあるのかもしれない。介護環境における選択は、「自分自身で考え、行動すること」というにはまだ弱い。そう考えると、この結果は、外的な統制を重視する人々ほど、外的な統制が自分の思い通りになるように整える、という結果に置き換えることもできる。一方外的な統制を重視しない人は、介護環境という外的統制については、関心がないので受身である。内的統制は介護環境には全く影響を及ぼさない。そもそも、内的統制が高く外的統制が低い人は、老人ホームでの介護を嫌い、たとえ多少不自由でも自宅で暮らしたり、高い費用を払ってケアつきマンションに住むことを好む、という可能性もありうる。ローカスオブコントロールが内的外的ともに、仮説の通りに介護意識に影響を及ぼさなかったのは、これらの背景があるのかもしれない。さらに、団塊の世代にはローカスオブコントロールの内的統制、反同調、介護における選択のできる環境の重視において、前の世代との差が見られた。独自性欲求については年代間の差は見られなかった。従って、仮説は部分的に支持されたと言える。