「高校生の持つ「やさしさ」と友人間コミュニケーションのあり方―携帯メールの利用を通じて―」

松本涼子

本研究は、「ウォームなやさしさ」意識が携帯メールでのコミュニケーションに及ぼす影響を測ることを目的としていた。
高校生を対象にした「携帯電話による友人とのメール利用の現状」調査(2002年11月実施)によると、男女共に携帯電話の保有率は80%を超えており、その全員が携帯メールを利用していることがわかっている。他の年代と比べても10代の学生は利用頻度が高いことがわかっており、携帯電話は高校生のコミュニケーションにおける必須アイテムであることが伺える。特にメール利用の活発化の背景には、利用環境が整っており、コスト面で通話よりも優位であるという社会的背景と、ポケベル文化の延長線上にある若者の文字コミュニケーションへの親愛度の高さが挙げられる。
携帯メール上のコミュニケーションでは、若者の「人間関係の希薄化」がよく取り上げられるが、先行研究の例から、実際にはそうとも言い切れない。例えば辻(1999)の唱えるフリッパーと呼ばれるコミュニケーションスタイルでは、部分的だが表層的ではない、切り替え志向の傾向が見られ、それは対人関係が希薄化していることを意味しない。このモデルにおいては、携帯メールは相手ごとに切り替えられるだけの距離を保つツールとして機能しているのである。そして、携帯メールは生活に溶け込んだヴァナキュラーな存在であるがゆえに様々な要因の影響を受けやすく、また携帯メールの特性の受け止め方は、その人の置かれた状況や認識に左右されるものであるので、携帯メール研究の際には、個人の考え方とその個人の置かれている状況を考慮することが必須条件であると考えられる。
そこで本研究では、若者の「やさしさ」意識にスポットをあてた。1970年代以降、「やさしさ」は対人関係を円滑にするために大きな意味を持つ価値観として、若者にもてはやされ、社会に浸透した。「やさしさ」とは相手に同情し、相手との連帯感を得る行為であった。しかしその意味は変容し、若者の間でのやさしさは旧来のそれとは変化してきている。大平健が提唱した、「ホットなやさしさ」と「ウォームなやさしさ」である。ウォームなやさしさは相手に踏み込まず、沈黙のやさしさを尊ぶ新しい「やさしさ」であるが、筆者はこの両者のやさしさを温度ではなく距離感の違いとして解釈した。そして、「ウォームなやさしさ」をもつ若者にとって必要な距離を保つ道具として、携帯メールが利用されているのではないかと考えた。
 したがって本研究では、距離の変容という視点から、ウォームなやさしさを持つ人が携帯メールの利用を介してどのような友人関係を築いているのかを探る。仮説は以下の4つであった。
仮説1: やさしさの意味内容は、「ウォーム」なやさしさ、「献身」的なやさしさ、「ホット」なやさしさにわかれるだろう。
仮説2: ウォームなやさしさをもつ人ほど、友人とのコミュニケーションに際し携帯メールを使うことが多いであろう。(対面頻度、通話頻度は低いであろう)
仮説3: ウォームな人は、携帯メールを通じて親しい友人との親密度を高め、また対人関係の負担を軽減することを目的としているだろう。
仮説4: ウォームな人はホットな人より携帯メールを通じたネットワークサイズが大きく、多様であろう。
以上の仮説を検証するために、都内の高校から無作為抽出した高校44校に調査を依頼し、うち8校から許可を得て調査票を送付し、調査を行った。サンプル数は501名であった。
その結果、やさしさの意味内容は因子分析の結果、人の気持ちを推し量る「思いやり」因子、人と距離を保ち踏み込まない「ウォーム」因子、相手のために自分の都合を抑える「献身」因子、他者との距離が近く、連帯感を求める「ホット」因子の4つにわかれた。
ウォーム因子と携帯メール送信数、交換頻度については因果関係が見られなかったが、ホット因子がメール送信数に影響を与えていたことから、高校生にとって、友達とは対面で接するのが通常であり、携帯メールを送信する行為の方が親密度を示す「ホット」な行為であることが予想された。
 献身的なやさしさを持つ人ほど、相手に都合を合わせなくてよい携帯メールの利用によって、友人との親密度が向上したと認識していることがわかった。ウォーム因子と携帯メール利用によるコミュニケーションの負担軽減効果に因果関係は見られなかったが、「負担軽減」因子と「ウォーム」因子は社会への無関心な態度とのつよい相関が見られた。
 ネットワークサイズについて、ウォームでないほど、つまり人との距離をおかない人ほどネットワークサイズが大きいという結果を得た。現実のネットワークとの比較が必要であると考えられた。ネットワークのバラエティについては有効な結果が得られず、さらなる検討が必要であると思われた。