うわさの役割〜集団におけるネットワークの評価〜

伊藤阿貴

根拠もなく重要でない情報であるにも関わらず、実際の社会や組織に影響を与えるうわさと、もっと上手に付き合って行くためにはどうすればいいのか。人が何を求めてうわさをし、そしてそれはどのように広がって行くのかを明らかにすることで、社会生活を営む上で避けて通れない「組織」というものを理解する手がかりを作りたい。本研究はこのような地点からスタートした。

うわさは大きく三種類に分類される。社会情報としてのうわさ(流言と呼ばれるもの)おしゃべりとしてのうわさ(ゴシップ)そして楽しみとしてのうわさ(都市伝説)である。ゴシップとは狭義には、特定個人に関する倫理的非難を含むような情報を指し、広義には、人々が共通して持っている人に関する情報を指す。私たちの生活に日々「うわさ」とは認識していないかもしれないが、関わっているのがこのゴシップである。

 先行研究に習い、この広義のゴシップ、つまり日常の雑談の機能を「コミュニケーション機能」と「エンターテイメント機能」、「情報としての機能(情報としての信頼性)」に分けて、それぞれが一定のストレスがかかる『職場』でどのように機能するのかを調査した。

 

 理論仮説としては、うわさは情報機能を持っており、組織の中では公的な情報網を補完するように働いているという立場に立ち、個人がどのようにうわさと付き合って行くか、つまりどのような機能をうわさに求め、また使っているかは、その人個人の性質だけでなく、その集団がどれだけ自由な意見表明を推奨する環境であるかに影響される、というものを立てた。

 

作業仮説としては、前回の調査で示唆されていた「自由な意見表明への抑圧」が一定のレベルであるだろうという状況で、まず上下関係と意見表明への抑圧には関係が無いことを検証した。

ついで集団内での仮説として、集団の性質とうわさの機能/内容において意見表明が抑圧された集団においては、うわさがその代わりの役割を果たすためうわさの情報機能が高く評価されること、意見表明への抑圧が強い集団ほど、うわさのコミュニケーション機能は低く評価されること、意見表明への抑圧が強い集団ほど、うわさのエンターテイメント機能は低く評価されること、を検証した。

個人の性質とうわさの機能/内容についでは、他者評価懸念が高い人ほど、うわさの情報機能を高く評価することを、集団間での仮説についは、意見抑圧の強い集団にいる人ほど、うわさのコミュニケーション機能を評価しない、ということを検証した。

 

 結果として、上下関係と意見表明への抑圧には関係がない、意見表明への抑圧が強い集団ほど、うわさのコミュニケーション機能は低く評価される、意見表明への抑圧が強い集団ほど、うわさのエンターテイメント機能は低く評価される、という三つの仮説は支持された。これは、夏に行ったうわさの調査で示唆されていた事がが、良い悪いという内容を超えて広く一般的なコミュニケーションに当てはまる知見であることを裏付けるものである。

 また、集団間での、意見抑圧の強い集団にいる人ほど、うわさのコミュニケーション機能を評価しないという仮説は支持されなかった。これは、その集団の特性において個人のパーソナルなコミュニケーションの方法がすぐには影響されない、ということを示唆している。

 

 以上の結果から本研究の知見は、「話題の善し悪しに関わらず、組織において自由な意見表明への抑圧は、うわさの持つコミュニケーション機能やエンターテイメント機能を鈍化させる。しかし、上下関係という役割分担を組織内で行うのは、必ずしも自由な意見表明を妨げるものではない」と要約できる。

 また、本研究での、その集団の特性において個人のパーソナルなコミュニケーションの方法がすぐには影響されない、という示唆は、生活の中で様々な問題を抱えてより良いコミュニケーションの方法をこれから模索していく上で、重要になってくるだろう。