理性的判断と感情的判断を乖離させる要因―日常的な感情制御が判断力に及ぼす影響―

中山奈緒子

理性によっていかに上手く感情を制御するかということは心理学の様々な領域のみならず、一般社会においても関心の高い事柄である。しかし社会学者ホックシールドは、フライト・アテンダントの感情労働の研究から、感情制御が自分の感情への信頼感を失わせうるという問題を指摘した。

感情は環境内での自己制御が意図したとおりに進行しているか否かを知らせる重要な信号であり、その感情を感じなくなったり、自分の感情への注意や信頼感が損なわれることによって、合理的な判断を下す能力が低下することが、社会的認知や脳科学、そしてレイプの被害者に対する調査結果など様々な分野に属する知見から示されている。

 本研究では、自分の感情の把握と感情に対する信頼が妨げられている状態を、感情の信号機能の低下と定義した。そして感情制御の頻繁な利用による感情の信号機能の低下、そしてそれによる判断力の低下が広く一般的に起こりうることを示すために、また相互作用的視点を加えてこの現象の促進・抑制要因を探るために、以下の仮説を立てた。

 

仮説1:感情制御傾向が高いほど、感情の信号機能が低下するため、判断力が低下する

仮説2:所属集団において自由な意見・感情の表出が抑圧されているほど、感情制御傾向が感情の信号機能の低下を通じて判断力を低下させる効果が大きい

仮説3:所属集団においてありのままの感情の表出が受容されているほど、感情制御傾向が感情の信号機能の低下を通じて判断力を低下させる効果が小さい

 

 これらの仮説を検証するために、20071011月に、東京都・茨城県にある計32の職場組織に所属する労働者(非正規雇用を含む)を対象に質問紙調査を行った(有効回答数193)。

 その結果、感情制御の一方略である感情抑制を行いやすい傾向が、感情の信号機能の低下を媒介して判断力の低下を促進することが示され、仮説1は支持された。

また調査票を配布した職場集団を集合単位として行った、階層線形モデルを用いた分析より、意見抑圧の程度が高い職場集団において仮説1の効果がより大きくなることが示され、仮説2も部分的に支持された。

 職場における感情制御被強要感は、感情抑制の頻度・感情抑制への肯定的態度・感情の信号機能の低下を促進することを通じて判断力の低下を促進していた。

 しかし家族や職場、友人グループなどの4つの所属集団における感情表出被受容感の合計は、感情の信号機能の低下を直接的に抑制する効果を持っていた。ありのままの感情の表出を受容してくれるような集団との相互作用によって、感情抑制の負の効果を軽減できることが示された。

 今後の研究では、意識的に行われる感情制御・感情制御への肯定的態度・非意識的な感情制御の相互の関連を明らかにしつつ、それぞれが感情の信号機能のいずれの側面に、どのくらい大きな効果を及ぼすのかを検討することによって、本研究の知見がより精緻化されることが望まれる。