価値観が政治参加に及ぼす影響〜自己実現欲求・私生活志向を中心に〜

小松 才恵子

 物質的に豊かな社会では、人々の政治への関心は高まるのだろうか。イングルハートは、「豊かさに恵まれた社会では人々に自己実現をめざす余裕がうまれ、自己実現の手段として政治参加が活発化する」と予測した。このように、豊かな社会の行く末をポジティブな方向にとらえた研究は数多い。確かに、市民運動やボランティアなど、これまでになかったかたちの政治参加が活発化している。しかし一方で豊かな社会では、世の中と関わらなくても充足した生活をおくることが可能なため、政治や社会のことを「人まかせ」にする私生活志向が高まる可能性があるように思う。自己実現欲求と私生活志向は政治参加にどのような影響を与えるだろうか。また、ふたつの価値意識を規定する要因はなんだろうか。

 また、現代では政治参加の形態が多様化している。選挙、選挙運動、政党支持といった従来型の政治参加から、住民運動、デモ、ボランティアまで幅が広い。そしてこれらの政治参加形態は、それぞれ異なる性格を持っている。直接的か間接的か、制度的か非制度的か、行政に対抗的か協労姿勢を示すか、参加コストは大きいか小さいか、などが挙げられるだろう。自己実現欲求が政治参加を活発化させたり、私生活志向が参加を抑制したりするとしても、その影響力は政治参加の形態によって異なると考えられる。自己実現欲求と私生活志向は、政治参加の中でも特にどのような参加の形態に影響を及ぼすだろうか。

 以上のような問題意識から、価値意識と政治参加の関係を検討するため、埼玉県戸田市を対象に調査票の郵送調査を行った。結果として得られたのは、以下のような知見である。
 
 自己実現欲求は政治への参加意欲を高め、私生活志向は参加意欲を弱めることがわかった。自己実現欲求はものの豊かさの実感が規定要因となっており、一方、私生活志向はものの豊かさの実感とは関連がなく、権威主義に規定される価値意識であった。豊かさは自己実現欲求を高めることで政治参加を促進する効果はあるものの、直接「私」から「公」へと視野をひろげるわけではない、と解釈できるだろう。それは豊かさが、政治と関わらなくても満足できる生活をもたらし、市民にとって政治が縁遠いものとなるためと考えられる。「豊かな社会では政治参加が活発化する」という議論は依然として妥当なものであるが、それがどのようなプロセスによるものか、また価値観の由来の多元性に注目する必要があると考えられる。

 自己実現欲求は政治参加意欲を高め、私生活志向は意欲を弱める。しかし、その効果の強弱は、政治参加の形態によって異なるものであった。今回の調査で検討したのは投票・選挙運動・政党支持行動・住民運動・デモ・署名・ボランティアの7つであったが、自己実現欲求はボランティアと選挙運動について、参加意欲を高める効果を持った。一方、私生活志向は、政党支持行動とデモをのぞく全ての政治参加について参加意欲を弱め、その効果は署名とボランティアで特に強かった。このことから、自己実現欲求はコストが高くても直接的で成果が見えやすく、利益の確保よりも理想の達成を目標とする活動の参加意欲を高めると考えられる。また私生活志向は、自己の利益の確保に関わる活動については参加意欲を弱める効果は弱いが、そのような利益の得られない活動については参加意欲を低める効果が特に強くなると考えられる。