浅野 渉
自己評価、自己呈示に関する研究において、日本人は他の文化の人と比較して、自己の優位性をアピールするよりも、他者に対してより控えめで遠慮がちな態度をとる傾向があると言われる。これまでこの現象に対して主に2つの理論的立場から研究が進められてきた。ひとつは、Markus & Kitayama (1991) に代表されるような、@日本人は自己卑下傾向を内面化しているとする立場である。そしてもうひとつは、A実は日本人も自己高揚傾向を見せるが、社会規範に則するために自己呈示では自己卑下呈示を行なうのだとする立場である。近年の研究には、日本人の自己卑下的傾向は内面化されたものだとする前者の立場に疑問を呈し、むしろ後者の立場に立って行なわれた研究が多く見られる。それらはどれも、「日本人にも自己高揚傾向が見られること」、しかし、「人間関係についての社会規範の影響から、良好な人間関係を維持するために対人場面では自己卑下的な自己呈示をしている」ことを示すことで、@の立場に立つ研究を批判的に乗り越えようとしている。
しかし、@とAのどちらが優位かを検証する研究には決着がつかないという意見もある(針原, 2008; 石黒・村上, 2007) 。タテマエとしての自己卑下呈示というAの立場を支持するとき、他者の印象操作が動機となっている。印象操作を目的とした自己卑下呈示の環境的要因を考察した齊藤 (2006) も大変興味深い。しかし、そういった社会規範があっても、人はいつも他者が自らに対して抱く印象をコントロールしようと意図しているわけではない。鈴木・山岸(2004)のように、自己卑下呈示は印象操作を目的とした方略的自己呈示ではないという考え方もある。さらに、自己向上動機(唐澤, 2001; Kitayama & Markus, 1999) の存在は、自己卑下呈示は他者との関係性の維持・発展だけが目的ではないことを示している。
一方、Aの立場に立った議論が前提としていた自己卑下呈示規範の相対性を指摘する研究もある。稲富・山口 (2004)は、自己卑下呈示が必ずしもポジティブな印象を与えるわけではないとし、自己卑下呈示の一般性を過信することの危険性を示唆している。また、吉田・浦(2003) は、自己高揚呈示規範・自己卑下呈示規範のどちらを内面化しているか、その程度には個人差があること、その個人要因として相互独立性と相互協調性を挙げている。そして高田(2004)は、日本人には自己高揚傾向・自己卑下傾向両方の側面があり、状況によってそのどちらかが顕現すると主張している。
では、これらの議論を踏まえたうえで、日本人の自己高揚呈示・自己卑下呈示について、今後どのような研究がなされるべきなのか。本論では、自己呈示を受けた被呈示者がどのような規範を内面化しているかによって、呈示者に対して抱く印象が変化する可能性について考察する。
稲富・山口(2004)は、被呈示者が呈示者の自己卑下に対してどのような認知をしているかに注目していたが、被呈示者の特性には触れていなかった。この研究には、「日本人である被呈示者ならば自己卑下呈示規範を共有している」という前提があると推測される。しかし、高田(2004)が示すように、日本人には自己高揚的側面と自己卑下的側面の両方がある。また、吉田・浦(2003)によれば、自己高揚呈示規範と自己卑下呈示規範のどちらをどの程度内面化しているかには個人差があるという。それらを考慮に入れると、受け手が自己卑下呈示者に対してネガティブな印象をもった要因として、受け手の持つ規範が印象形成に影響した可能性も考えられる。自己抑制的に振る舞う人間を「卑屈」と考えるのは、自己卑下呈示規範よりも自己高揚呈示規範をより内面化しているからではないか。自己卑下呈示規範を内面化しているならば、そのような他者に対してネガティブな印象を形成しないのではないか。
そして、そのような因果関係が成り立つならば、逆に考えて、自己高揚呈示規範を内面化している人は他者の自己高揚呈示に対しても肯定的に捉えると考えられる。もちろん、過剰に自分の能力や優位性をアピールしたり、他者を無駄に挑発しているだけの人間には好印象を抱かないかもしれない。しかし、野球のイチロー選手やサッカーの本田圭祐選手といったスポーツ選手のように、ただbigmouthを披露して終わりではなく、それに見合う結果を残している人間、客観的な根拠のある自己高揚呈示を示す他者に対しては、ポジティブな印象を形成するのではないか。
以上をまとめると、
・自己高揚呈示規範を内面化している人は、自己卑下呈示を見せる他者に対してネガティブな印象を形成する。
・自己卑下呈示規範を内面化している人は、自己卑下呈示を見せる他者に対してポジティ ブな印象を形成する。
・自己高揚呈示規範を内面化している人は、実績などの客観的な根拠のある自己高揚呈示を見せる他者に対してポジティブな印象を形成する。
という3つの仮説が成り立つ可能性が考えられる。