林 慧
本演習では、社会心理学の知見を用いて、日本の家計について分析し、なぜ日本では投資が行われにくいのか、家計に占める危険資産の割合が低いのか、について考察を行った。社会心理学の知見の中でも、とりわけ不確実な状況における意思決定に関するものに焦点をしぼり、投資におけるリスクを過大あるいは過小に見積もってしまう投資家の心理を分析した。そして、日本とアメリカの異なる労働観に基づき、家計に占める危険資産の割合の違いを考察した。
まず、実際に日本の家計に占める危険資産の割合が低いことを確かめるべく、アメリカのそれと比較した。日本の家計のうち、現金や銀行預金といった安全資産の占める割合は、50%を超えている。一方で、アメリカの家計では、安全資産は全体の15%程度なので、やはり、日本の家計における危険資産の割合は低いと考えられる。また、日本では、金融に対する関心や知識の度合いも低い。金融広報中央委員会の調査では、危険資産や危険資産が持つリスクに関する知識を持っている人は1割程度であった。このような、日本における、投資に対する関心の低さや、実際の投資の少なさを社会心理学的知見によって分析していく。
次に、分析に用いる知見を挙げていく。そのうちの1つに、認知的不協和理論がある。認知的不協和によって、後悔を回避するために損失の出ている株式を長期にわたって所持してしまったり、通常からの逸脱のバイアスが生じ、リスクを見誤ったりしてしまう。 ヒューリスティックも大きな影響を及ぼす。代表性ヒューリスティックによって、本来ランダムに動くはずの株価の動きを、あたかも規則性があるかのように見誤ってしまう。また、利用可能性ヒューリスティックによって、数少ない情報で売買のタイミングを判断してしまう。リスクについて熟考することなく、こういった行動が生じてしまうのである。
リスク回避について重要な理論に、プロスペクト理論がある。ある基準点をもとに、金銭における利益領域と損失領域を考えた場合、人は利益領域においてはリスク回避的に行動し、損失領域についてはリスク選好的に行動するという理論である。
次に、日本人とアメリカ人の労働観の違いについて分析する。吉野(2004)によれば、働かなくても生活できるだけのお金がたまったとしても、仕事を継続しようとする人の割合は、日本人の方がアメリカ人よりも高い。また、仕事の話題として、日本人は自己実現や他者との交流が話題になりやすいのに対して、アメリカ人は給料の話題が多いという結果になった。ここから、日本人は、労働に対して経済的報酬以外の面でのコミットメント(自己実現などの心理的報酬)が高いと考えられる。 ここから、日本とアメリカの労働における報酬を、プロスペクト理論を用いて考察する。プロスペクト理論で、報酬の効用を横軸に取り、心理的満足感を縦軸に取るとしたときに、利益領域において、リファレンスポイントから遠ざかれば遠ざかるほど、言い換えれば、報酬が大きくなればなるほど、報酬1単位増加に対する満足感の増加は小さくなる。そのため、報酬の増加に対するリスクを取りにくくなるのである。さて、日本人の労働の報酬の効用の方が、アメリカ人のそれに比べて、心理的報酬の分だけ大きいと考えられる。そのため、報酬の増加に対するリスクを取りにくくなると考えられる。これは、心理的報酬に関してもある程度当てはまる。日本人は、アメリカ人に比べて転職に対する関心がうすいという調査結果があり、これは、終身雇用制度や年功序列といった文化的背景があるにせよ、心理的報酬を変えるリスクを負いたくないという解釈も可能である。経済的報酬に目を向ければ、報酬の増加による心理的満足感の増加は、アメリカ人よりも低くなる。そのため、リスクを負ってまでは経済的報酬の増加を望まないのである。その結果、日本の家計は危険資産に投資することなく、安全資産を保有すると考えられる。
最後に日本の金融における課題を心理学的に考察する。その中で、金融教育の不足を取り上げる。金融教育が進んでいないことで、多くの人の金融知識が欠乏する結果となっている。知識の欠乏は、リスク認知に大きな影響を及ぼす。Lichitenstein
& Fischhoff (1977)
によれば、予備知識があることで、自信過剰による判断の誤りが軽減されることが示唆されている。また、木成(2009)は、証券会社に対する信認や知識程度を向上させることによって、危険資産比率の日米格差がある程度解消される可能性を示している。
上記の研究から推測できるように、やはり日本における金融教育の不足が、様々な要因に作用し、日本人が家計に危険資産を組み込むことを躊躇する原因になっている。本演習は、心理学的作用を中心に据えているため、金融教育の内容について深く踏み込むことは避けるが、社会心理学的知見を金融教育に取り込むことで、危険資産のリスクを過大あるいは過小に評価することを防ぐことは可能であると考えられる。