社交辞令としてのお世辞と謙遜の二次的意図の違い

岡本 麻希

本研究では、社交辞令としてのお世辞と謙遜について、本心でないことが相手に伝わってほしいと思うか伝わってほしくないと思うかで差があるのではないかと考え、主に以下の仮説を検討した。【@社交辞令としてのお世辞では、本心から言っているのではないことが相手に知られたくないだろうA社交辞令としての謙遜では、本心から言っているのではないことが相手に知られたいだろう】結果は仮説@は支持されたが仮説Aは支持されなかった。しかし、謙遜群の方がお世辞群よりは、本心でないことが伝わってほしくないと思う度合いが小さかった。

態度チェックではお世辞と謙遜それぞれについて、「人間社会に必要と思うか」「良いことだと思うか」を尋ねた。そこから、お世辞についてはあまりそれが良いことだと思っていないにもかかわらず、人間社会には必要であると思うことから、戦略的な意味を感じ取っていることが示唆される。ここから謙遜は美徳とされているがお世辞は美徳とされてはいないことが確認された。

全体分析より、【仮説@社交辞令としてのお世辞では、本心から言っているのではないことが相手に知られたくないだろう 仮説B社交辞令としてのお世辞では、本心から言っているのではないことが相手に知られたくない理由は、もし知られたら相手の気分を悪くするし自分の評価も下がるし、もし知られなくても相手の気分を良くできるからであろう。 仮説C社交辞令としての謙遜では、本心から言っているのではないことが相手に知られたい理由は、もし知られても相手は気分を悪くしないし、もし知られなかったら相手の気分を良くすることができないし、知られたら自分の評価をあげることもできるからであろう。】が支持された。シチュエーション分析より【仮説D社交辞令としてのお世辞では、本心から言っているのではないことが相手にもし知られたら相手の気分を悪くし、もし知られなくても相手の気分を良くできる理由は、お世辞は相手への重要度が大きく、またお世辞は美徳という規範がないからだろう。 仮説E社交辞令としての謙遜では、本心から言っているのではないことが相手にもし知られても相手は気分を悪くしないし、もし知られなかったら相手の気分を良くすることができない理由は、謙遜は相手への重要度が低く、また謙遜は美徳という規範があるからだろう。】が支持され、また謙遜の好ましさは重要度明らか度ポライトネス理論周囲への利益の大小による謙遜望ましさ規範で説明できることがわかった。