瀬川 淳希
社会心理学では多くの社会的ジレンマの研究が行われ、多くの社会的ジレンマの捉え方が生まれている。本研究では、社会的ジレンマをどう捉えるかという視点から、社会心理学における社会的ジレンマの解決へのアプローチについて考察した。具体的には、社会的ジレンマの定義、社会心理学の社会的ジレンマ研究におけるある相違の存在、そして社会的ジレンマのメカニズムに接近するためのアプローチについて述べた。
社会的ジレンマの形式的定義は一般的にはDawes(1980)の定義が広く引用される。すなわち、
@D(m)>C(m+1) (m=0,1,2,…,N-1)
AC(N)>D(0)
である。社会における個人の構成数をN人とし、各個人は2つの選択肢(C,D)が与えられている。C(m),D(m)はそれぞれC,Dの選択者の数がm人のときのC選択者の利益、D選択者の利益を表している。@の式が表すのは、mの数に関わらず各個人にとってCを選択するよりもDを選択するほうが利益は大きくなるということであり、Aの式が表すのは、すべての個人がCを選択するときの各個人の利益はすべての個人がDを選択するときの利益よりも大きいということである。しかし、上述の定義式には「個人の影響力が小さい」という社会的ジレンマには必要不可欠な要素が表現されていない。というのも、Dawes(1980)の社会的ジレンマの定義は囚人のジレンマを多人数(N人)に拡張したものだからである。
この指摘により、それまで行われてきた社会心理学の社会的ジレンマ研究における「社会的ジレンマ」と、現実の社会に則した「社会的ジレンマ」には一種の相違が生じてくることになる。社会心理学における社会的ジレンマ研究は一般に、小集団を設定し「社会的ジレンマ」を人為的に作り出し、そこでの被験者の行動を観察することによって「社会的ジレンマ」のメカニズム、また、その解決のメカニズムを分析するというものである。しかし、多くの社会心理学における社会的ジレンマの先行研究では「社会的ジレンマ」ではなく「多人数囚人のジレンマ」がジレンマ状況として用いられている。すなわち、従来の小集団実験における「社会的ジレンマ」は「個人の影響力が小さい」ことが考慮されていないために、社会的ジレンマではなく多人数囚人のジレンマになってしまっている。
また、これ以外の相違として、研究者が想定する「社会的ジレンマの構造」と、当事者が実験で用いられている行為選択状況に対して解釈している「構造」のあいだの相違である。従来の多くの社会心理学における社会的ジレンマ研究では、研究者が当事者(被験者)の行為選択状況をあらかじめ社会的ジレンマとして定義したうえで、そこでの当事者の実際の行為選択を観察することで社会的ジレンマのメカニズムを探ろうとしていた。しかし、当事者の視点から行為選択状況をどのように捉えているかを検討してみると、多くの先行研究の場合、個人は状況を社会的ジレンマとしては捉えていないことが明らかになった。
このような研究に対して、過度の複雑化と過度の簡略化という表現を用いることができる。社会心理学の社会的ジレンマ研究における「社会的ジレンマ」と、現実の社会に則した「社会的ジレンマ」との相違についてだが、これは現実を過度に複雑化したために生まれた相違である、ということができる。日常的なごみの分別行動では、もし仮に自らの行為の結果が他者の行為の結果に影響されているとしても、それを意識することはほとんどなく、戦略的な思考には至らない。そして、研究者が想定する「社会的ジレンマの構造」と、当事者が実験で用いられている状況に対して解釈している「構造」との相違についてだが、これは現実を過度に簡略化したために生まれた相違である、ということができる。ごみの分別行動の効用(合理的選択理論が想定する人間が最大化を目指すもの)は、多様な側面がありうるはずが、社会的ジレンマの枠組みの中では単純な利益と損失のみを捉えることしかできていない。例えば、ごみを分別するという行動には日常習慣としての側面があるし、制度に従っているだけの行動という側面もある。
以上のような研究者の視点から社会的ジレンマを分析的に捉えようとするアプローチを「分析的アプローチ」と呼ぶ。それに対し、当事者がごみの分別という行為の意味を当該状況においてどのように解釈しているのかを、研究者が解釈的に捉えようとするアプローチを「解釈的アプローチ」と呼ぶ。そして、現実の社会における社会的ジレンマを捉えるためには、本来は分析的アプローチではなく解釈的アプローチが用いられるべきである。なぜなら、現実の社会生活においては、行為の意味はその行為を意味付ける当事者の視点、あるいは文脈から離れて理解することはできず、どのような意味を付与しているかは研究者が解釈することによってのみ捉えることができるからである。
以上の考察から、社会心理学における社会的ジレンマ研究においては、まず現実の社会に則した問題である社会的ジレンマの解決のメカニズムを明らかにすることを目的にしていることを再確認し、その上で分析的アプローチではなく解釈的アプローチに基づいた研究方法を議論していく必要があるという結論に至った。