教育学・社会学・心理学への興味・関心が,社会への不公平感に与える影響について

高山 義人

 近年、近年は様々な分野で格差が拡大し、その結果、社会への不公平感が増していると言われている。ここで不公平感とは「ある基準に照らしたときに当該の状況があるべき姿であるか否かについての判断」と定義し、公平判断は「当該社会における社会的資源や生活機会を所与としたときに、評価者が正しいと考える配分原理をもとに生じるであろう仮想的配分を基準にして、現実の配分状況(の認知)がどれだけ逸脱しているか、という評価である」とする。そして先行研究によると、「不公平感の発生に関しては、不公平感は年齢、性別、所得などの属性とあまり関連性がない、すなわち、ある属性や資源を持つことによって、不公平感を抱くか否かということが説明されないということが指摘されている」とされる。ではどういった人が不公平感を感じやすいんだろうか。今回の調査は、不公平感を感じやすいタイプの特徴を考察することを目的とした。

 先行研究において高い社会的地位や経済的豊かさを配分する理想の配分原理は「努力」という回答が最も大きかった。ということは、「努力」したのに「資源」を得られなかった…こういった場合に不公平感を感じやすいという推測が成り立つ。しかし一方で、「努力」したからといって全てが報われるというわけではないことも明らかである。この考えが浸透している芸術やスポーツの分野ではあまり格差を問題視している人間はいない。「生まれつきの資質」がなければ「努力」しても実績を残せるわけではないということを知っているからだ。

 しかし、仕事に必要な能力に直結する知能に関しては、このような考えは浸透していない。遺伝子的に〇〇の知能は劣っているといえば即刻差別的な人間にされてしまう。(遺伝子学でみれば間違ってはいない)こういった場合には「努力」と「実績」に相関があると考え、結果として理想の配分原理は「努力」と考えるようになる。

 ここまでの話を整理する。「生まれつきの資質」が全く無いのに一生懸命「努力」している人がいる。当然、「実績」は残せず、正当な評価をすれば「資源」は得られない。ここで「「生まれつきの資質」が全く無い」を省いてみると、「努力」したのに「資源」が得られないという上記の不公平感を感じる状況に変化する。よってこの「生まれつきの資質」を考慮に入れるかどうかにより不公平感を感じやすいか否かが決定してくるのではないか。そして「生まれつきの資質」よりも生まれた後の「環境」を重視する社会学・教育学・心理学に興味を持てば「生まれつきの資質」を軽視し、不公平感が高まるのではないかという仮説を立てた。