青山 敦
「何故人は旅に出るのだろうか」。古来より、交易や放牧のため、あるいは聖地への巡礼のため、あるいは飢餓や内乱などのやむを得ない理由のためなど、困難を伴いながら半強制的に多くの人々が故郷を離れていった。しかし現代では楽しみを伴うレジャー活動としての自発的な旅である「観光旅行」が大きな潮流となっている。世界観光機関(UNWTO)によると2008年度の世界の国際観光客到着数は9億2181万人に達し、1960年(6900万人)と比べて13倍近くの規模になっている。また、世界観光機関の予測によると、2020年までには国際観光客到着数が16億人までに達すると予測されている。何故これほどまでに多くの人々がわざわざ観光旅行に出かけるのであろうか。「何故人は旅をするのか」「何故人は観光をするのか」という観光者動機の研究は観光立国を目指す日本国にとっても、ライフスタイルが多様化している日本社会にとっても、非常に重要で社会的に要請されているにも関わらず、社会心理学の視点からの研究がさほど多くはない(佐々木、2003)観光行動は観光者のみならず、観光事業者や地域住民などのステークホルダーがが「触れ合い、学び、遊び」などを通じた人間行動(観光政府審議会、1995年)であり、その行動のあらゆる局面で他者の行動や社会環境との関連が生まれるために、社会心理学が効果的なアプローチであると考えられる。本論文では、「何故人が旅をするのだろうか」についての先行研究を踏まえながら、観光が一般化した今日における観光動機や価値観の変化、そして将来のツーリズムについても考察していきたい。
日本人にとって、もはや旅行はかつてのような「手に届かない贅沢」ではなくなった。(2008年度、海外旅行者数約1599万人)近年の若者の旅行離れが加速する一方で、男女ともに60代の高年齢層の旅行人気の伸びは著しい。このような人々の旅行キャリアが蓄積していく過程で、次第に観光旅行への欲求は高次化し、観光へのまなざしは「みんなと同じ旅行」から「おあつらえの旅行」「本物志向の旅行」へと変わりつつあると考える。実際に、近年旅行キャリアを蓄積するのに伴い、「おいしいものを食べる」「温泉につかる」「有名な世界遺産に行く」など比較的低次の欲求から「異文化を体験し、学習する」「異文化の人々と交流し、理解する」など自己実現的な高次の欲求へと移りつつあるのではないか。このような観光旅行への欲求の高次化の表れとして、小笠原諸島のホエールウォッチングや農村地域でのグリーンツーリズムなど、文化保全や環境へと配慮した新しいツーリズムの潮流が見られるようになっていると考える。
また、旅行キャリアの蓄積によって、観光のまなざしは変化し、観光の対象は多様化、細分化している。従来のような観光旅行に出かけるのがまれであった時代は、「多くの人が訪れるから」という簡単な理由で訪問地を決定していたが、現在は「地域にどのような観光資源が存在するか」という動機付けと訪問地側の観光資源の関係が重要視されるようになった。それに伴い、これまで観光の対象として考えてこなかった場所や施設に観光のまなざしが向けられるようになり、個人の属性や興味に応じた様々な事物が対象となり、認識されるようになった。例えば、工場の夜景を楽しむクルーズ旅行などは典型的な例であると考えられる。このような従来の画一的なマスツーリズムとは異なる個人的な関心あるテーマ(工場や鉄道、アニメなど)を扱うニッチツーリズムが市民権を得始めている。その中で画一的なマスツーリズムに対応してきた大型スキー場や旅館などはもう時代遅れとなりつつある。このような地域を復興するには画一的でない地域固有の文化や観光資源を生かす取り組みを、観光関係者だけでなく地域住民などのステークホルダーとの協力が不可欠であろう。
「観光」とはもともと中国の「易経」における「観光之光、利用賓干王」という言葉が由来とされている。この観光における「光」とは「国の光華盛美」ということ、言い換えるならば、地域の美しい風景と人々が幸せに活き活きと暮らしていく様であろう(十代田、2010)それぞれの地域独特の「光」をより輝かせるには、地域の人々の協力に基づく観光街づくりが不可欠である。その地域にしかない「光」を見出し、輝かせていく過程で、人々はより自らの地域に「誇り」を感じることができ、その魅力を他の人に魅せたいという欲求をも満たすことができるのではないだろうか。このような地域の観光資源を生かしたまちづくりは観光者の高次の欲求を満たしつつ、地域に対してはお金だけではなく、その地域への魅力や愛着を生み出していくだろう。