裁判員裁判における非対称な認知

谷邊哲史

人は一般に、「自己は他者よりも外部の情報に影響されない」という非対称な認知をする傾向があり、そのような認知が行動の変化にもつながる可能性がある。本研究では、法廷におけるコミュニケーション場面で生起する非対称な認知について研究した。
近年、日本では裁判員制度と被害者参加制度の導入によって刑事裁判への市民参加が実現した。両制度に対して、被害者等が法廷で感情をあらわにし、裁判員の判断に影響を与えるため量刑が重くなるという指摘がある。しかし、非対称な認知に関する知見からは逆の予測が可能である。すなわち、被害者参加人の発言によって他の裁判員は自己よりも強く影響されると認知することで、裁判員は抑制的に振る舞う可能性がある。
そこで本研究では、法廷でのコミュニケーションによって生起する非対称な認知と、それが量刑に影響を与える可能性を検討した。同様の研究は従来、主に文章シナリオを用いて行われてきた。しかし文章シナリオはリアリティーの低さという点で課題が残る。本研究では映像シナリオを用いることによってリアリティーを高め、より妥当性の高い検証を試みた。
実験の結果、被害者参加人の発言に対して非対称な認知が生起することが確認された。人々は、自己よりも他者の方が被害者参加人の発言に強く影響されると考えていた。さらに、非対称な認知が生起した人は、自己よりも他者の下す量刑の方が重いと推測した。また、非対称な認知の生起プロセスとして、理性的に判断しようとする態度との関連が示された。具体的には、裁判は感情的な意見を排除して行うべきであるという「理性的裁判イメージ」が自己への影響の否定を、裁判員は感情に流されるという「感情的裁判員イメージ」が他者への影響の肯定を強める要因として働いた。
これらの結果から、裁判員裁判という社会的場面で非対称な認知が生起しうること、そして非対称な認知が量刑判断という行動にも関連することが明らかとなった。一般に考えられている以上に複雑な認知を行う市民の姿を提示することによって、司法制度を巡る議論に新たな視点を提供できたと言える。また、文章シナリオを用いた先行研究と整合する結果が得られたことによって、裁判研究の知見の妥当性を高めることができた。
非対称な認知の生起プロセスに関して、自己への影響の否定と他者への影響の肯定が互いに独立して生起する可能性が示唆された。判断への事後的な評価からは、非対称な認知と、自己の価値を高めようとする動機づけられた推論との関連が示された。
教示によって非対称な認知を抑制する可能性を検討したが、予測した結果は得られなかった。また、被害者参加人の感情表出にも操作を加えたが、意図した操作が実現できなかった。実験的操作の妥当性について、さらに検討を加える必要性が示された。