自己啓発書と心理学研究の関連
太田 智子


 本レビューは、自己啓発書と心理学研究の関連性を検証することを目的としたものである。まず、自己啓発書がどういうものであるかを確認し、次に、日本の自己啓発書の歴史とともに、時代ごとの内容の傾向とその推移を概観した。そののち、心理学的な知見と自己啓発書の内容とを照らし合わせ、主だったものについて考察を加えた。
まず、自己啓発は、牧野(2012)によれば、「職能開発に限られないより広い、自分自身の認識・変革・資質向上への志向」であると定義づけられる。これに適合する書籍の分析を行うにあたって、牧野(2012)は1945年から2010年までの日本十進分類法の「人生訓」に属する書籍のうち、年間ベストセラーとして記録されたものから、合計104点を抽出し、分析している。
戦前、渡部(1991)によれば、日本における自己啓発書の草分けには、Smiles(1859)の『Self-Help』を翻訳した『西国立志論』(中村, 1867)がベストセラーとして存在したとされる。欧米の300余名の著名人の成功体験を記した書籍である。自主自立の精神や勤勉さや誠実さなどが、富国をもたらす心がまえとして説かれている。戦後から1960年代までは、戦前の傾向を引き継ぎ、心構えに終始するものが多いとされ、『西国立志論』に書かれた心がけに類似した精進や努力が説かれている。1970年代には、「生きがい」を求めることを推奨するような書籍が増加し、1980年代から1990年代前半にかけては、「バブル経済」と呼ばれる未曾有の好景気とそれに伴う消費文化を尻目に、精神的な充足を諭す書籍が、ベストセラーに記録されていた。牧野(2012)の見解では、「心の充実」が、政治・経済・社会の変化による混乱から求められていたとされる。1995年から2000年代前半は、『脳内革命』(春山, 1995)を契機に、人間個々人の内面は、自分の心の特性などを、その実情を自覚することを経て、どこまでも技術的に処理し、改良し、改良できると考える傾向が表れる。同時期に「EQ」という、自己観察および自己制御の能力を高めることを推奨する概念を扱った書籍もまた、ベストセラーとなるようになる。2003年以降は、2002年以前の傾向が一層強くなるとされる。『夢をかなえるゾウ』(水野, 2008)などの書籍で、自らの内面を知り意識的にコントロールすることが強調されている。超越的な概念を用いてベストセラーとなった『苦難の乗り越え方』(江原, 2006)も、失敗や不幸の原因を超越的な次元には帰結させず、自らの内面の分析とコントロールがいっそう強調されている。
 こうした傾向とその推移に対して、主だった心理学的な研究・視点と照らし合わせ4点について考察を行った。まず、(1)自己啓発書の著者における心理学研究者の存在感は増しているかという点について考えた。牧野(2012)が抽出した104冊の著者の職業の分類を踏まえたところ、心理学の研究者は一定の比率で存在するものの、突出したものではないかった。次に、(2)1990年代半ば以降の、自らの内面を知り意識的にコントロールすることを推奨する傾向が、セルフモニタリングの概念と類似することを確認した。また、(3)バブル期「心の充実」を謳った傾向がAlderfer(1972)のERG理論等と適合するものかを確認したが、諭されることがらは過去に回帰するものが多く具体的な内容自体は変化していなかった。そして、(4)心理学の専門家ではなくとも、著名な人物や権威ある人物が自己啓発書のベストセラーに多く記録されていことから、ハロー効果が見られる可能性を確認した。
 以上の概観・確認を踏まえて、大きく3点について考察を行った。まず、本レビューで基礎とした、自己啓発関連書籍について比較的網羅的で一貫した分析を行った牧野(2012)の研究の、サンプルの偏りや漏れなどの手続き上の問題点を指摘した。次に、牧野(2012)が読者層やその心理の機微には立ち入っていない点から、実証研究の必要性を指摘した。そして、日本国内のみならず、海外の自己啓発関連書籍についての分析も、期待されると考えた。一連の考察から、心理学研究において自己啓発書への関心を強めていくことには価値があると結論づけた。
 


 

 


災害発生の頻度が文化に与える影響の研究―マルチエージェント・シミュレーションによる繰り返し囚人のジレンマを通して―
飯塚 正樹


 古くから人々の関心をひき、東日本大震災で再び盛り上がりを見せた「災害と文化」の関連性を考察した。先行研究としてGelfand et al.(2011)の、「文化の窮屈さ」がその文化圏内の災害の多さと正の相関をもつという概念を引用し、またその文化の窮屈さが山岸(1998)の説く、文化によって異なるコミットメント関係期間の長短とも相関するとの類推から、文化の窮屈さは災害の頻度およびコミットメント関係期間の長短に影響されるという仮説を立てた。このような文化の変容を観察する方法として、マルチエージェント・シミュレーションによる繰り返し囚人のジレンマ(IPD)を採用した。 具体的には、二次元空間のフィールド上においてIPDによって利得を増減させる、様々な戦略を持つエージェントが、その利得に応じて別のエージェントを生んだり、消滅したりするモデルを作成し、フィールド上において多数派となる戦略の種類を文化と解釈した。またそのモデルにおいて一定確率で複数のエージェントの利得が減少するイベントが発生するプログラムを設定して災害の効果として表現し、エージェント同士が2者の固定的な囚人のジレンマ(PD)をする回数をコミットメント関係期間として表現した。これらの確率と回数との場合分けによってできた複数の状況において、フィールド内で支配的になる戦略の数を観察した。結果、本来社会は短期的コミットメントから長期的コミットメントへと進化していくものであり、それを災害のような脅威が促進するため、災害発生の頻度の高い共同体では、そうでない共同体より「相対的に」長期的コミットメントの社会となり、そのコミットメント関係の長さゆえに、文化が窮屈になる、という流れが示唆された。さらに現実社会に即して考えた場合、短期的コミットメント社会は関係拡張の目的ではなく、裏切りの頻度の高い信頼のおけない人々との長い関係を避けるために形成された、また長期的コミットメント社会は、災害の多さゆえに資源保護のための長期的コミットメント社会が形成され、規範の強化・文化の窮屈さが促進されたという過程が示唆された。今後はイベントの発生確率やエージェントの出生率などの様々な変数を変化させたモデル、また災害と文化の関連性をより明瞭に表現するために、PDの回数もエージェント自身に支配させ、短期的/長期的コミットメント関係を好む人間を表現し、どの戦略・回数を持つエージェントが、利得減少イベントに対して適応的なのかを観察するモデルなどが想定された。
 

 

 


組織コミットメントが規範に与える影響について
高橋 季央

 グローバル化が進む中、企業の組織形態や、そこへ属する人々の働き方も変わってきている。その中で、どのような時に人は自身の属する組織の持っている規範に従い、一方どのような時に規範に抗うのだろうか。group Identificationという個人変数を用いて、組織の規範へのかかわり方を調査したNormative conflict model(Packer,2008)によると、group Identificationが高いメンバーは、組織に対して外部から組織の存続にかかわるような影響があった時に、規範に抗い組織自体を守ろうとするという。本研究ではこのモデルを利用して、日本の企業組織において自身の組織に危険が及び、規範を変えないといけない場面(危険シナリオ)と、自身の組織の規範を変更すれば利益を得ることができる場面(利益シナリオ)においてそれぞれどのような人が規範の変革を行いたいと思うか(規範変革感情)を調査した。また、本研究では田尾(1997)の組織コミットメント尺度を利用し、group Identificationの代わりとした。組織コミットメントの中でもgroup Identificationに近い概念であると考える内在化要素と、組織に属することと組織から離れることをコストとして考え比較している存続的要素というよりドライなコミットメントを独立変数とし、それぞれ規範変革感情と実際の1次コントロール(山口、2001)を従属変数として調査をした。また、サイドベット要因として、規範を変革することがどの程度自身にとって良い影響をもたらすと思うか、という利益認知変数も用いた。
 結果、シナリオ間の規範変革感情の差は、危険シナリオのほうが有意に大きく、これはプロスペクト理論(Kahneman&Tversky, 1979)で説明がつくものであった。また、内在化コミットメントは、Normative conflict modelと異なり、規範変革感情に対して危険シナリオにおいて負の主効果がみられた。これは、日本的な経営方法に依存するものであり、過度な組織への同調を誘う風潮が日本にあるとする太・高尾(1996)に合致し、組織を強く自身に内在化するほど、既存のやり方を変えにくくなるという結果となった。
一方で、存続的コミットメントは利益シナリオ、危険シナリオどちらに対しても利益認知との交互作用がみられた。危険シナリオにおいては、存続的コミットメントが低いほど利益認知の交互作用がみられ、これは、組織自体の存続がなければ、そもそも自身に対しての利益もないため、利益認知と関係がなく危険シナリオでは組織を守ろうとする、という解釈ができる。利益シナリオにおいては、存続的コミットメントが高いほど、利益認知の交互作用がみられた。これは、規範を変革せずとも組織は存続し、自身に何も負の影響はないため普段は規範変革をしないが、自身に利益があると認知したときのみ強く規範を変革したいと思うという、ドライな人間像に当てはまるものとなった。
また、1次コントロールについては、直接コントロールのみ危険シナリオにおいて、存続コミットメントで利益認知との交互作用がみられたが、なぜ直接コントロールのみに交互作用がみられたのかはわからず、今後も調査や尺度の精緻化が必要であるといえる。

 

 


罪悪感研究の今後をめぐる考察:その内容的・時間的概念の拡張と罪悪感の適応的機能について
松元 円佳

 本研究は、自己意識的情動の一つとして近年関心を集める罪悪感をめぐり、その先行条件、他の情動との関連、帰結など幅広く概観し、今後実証的研究が待たれる問題について指摘することを目的としたものである。
「罪悪感とは何か」では、まず自己意識的情動と呼ばれる一群の情動について定義や発達の様相を述べ、罪悪感をその中に位置づけた。ここでは罪悪感を始めとする自己意識的情動が経験されるようになるまでの、いわば大前提となるものとして、抽象的自己知識と客観的自己覚知の精緻化が挙げられている。
続く「罪悪感の先行条件」では、抽象的自己知識の発達・精緻化が充分に進んだ大人において、特に罪悪感という情動が経験されるための先行条件をめぐる理論を取り上げた。具体的にはヒギンズ(Higgins, 1987)のセルフ・ディスクレパンシー理論や、ルイス(Lewis, 1992)の認知的評価理論などである。この章ではさらに、状況に対する自らの責任の認知と罪悪感の関係について幾つかの先行研究を取り上げている。
罪悪感は恥と同時に生起することが多いが、心理学研究においては別個の情動としてその違いなどが検討されてきている。そこで、「他の情動との関連」ではさらに恥や後悔といった関連する情動・心的経験との関連を通じてその特徴を掘り下げた。
最後に「罪悪感の帰結」にて、向社会的行動や謝罪・許しなどに罪悪感が与える影響を取り上げ、その適応的機能面について論じた。考察では、これまでに行われてきた罪悪感研究において取り上げられてきた罪悪感が、現実に見られる分類上の幅広さに対して限定的なものであることを指摘した上で、適応的情動としての罪悪感研究の今後について論じた。また、予期的に喚起する罪悪感が存在する可能性をめぐって久崎(2006)などの論文を取り上げ、罪悪感概念の時間的拡張を目指した。"




望ましい自尊心の高さとその表明についての実験的検討
伊原 一成


  顕在的尺度で測定される日本人の自尊心は北米人よりも低く、尺度の理論的中点に近い値をとることが多くの研究で報告されている。その理由については、日本人にとって自尊心は重要でないため日本人の自尊心は低いという説明と、日本人にとっても自尊心は重要であるが日本人は謙遜するため実際よりも低く観測されるという説明がある。本研究は後者の立場をとり、「日本人にとっても自尊心が高いことは望ましいが、他者から高い自尊心を持っていると思われることは望まない」という理論仮説を検証することを目的とした。自分にとって望ましい自尊心の高さと他者に知られる場合に望ましい自尊心の高さについて、東京大学の学生65名を被験者とした実験を行った。
  実験1〜実験3は、自尊心IATのフィードバックとして自尊心の高さをランダムに伝え、その高さによって高自尊心条件、中自尊心条件、低自尊心条件とする被験者間1要因3水準の実験であった。
  実験1では、フィードバックする自尊心の高さによって生じる感情の差を検討した。ポジティブ感情全体およびネガティブ感情全体ではフィードバックによる得点差が見られず、仮説1-1「ポジティブ感情は高自尊心条件、中自尊心条件、低自尊心条件の順で高い」および仮説1-2「ネガティブ感情は低自尊心条件、中自尊心条件、高自尊心条件の順で高い」は支持されなかったが、誇らしい気分については高自尊心条件で他の条件よりも高かったことから、高い自尊心が肯定的な意味を持つことが示唆された。また、低自尊心条件ではフィードバックを信用した人ほど否定的な気分になったことから、自尊心が低いことが否定的な意味を持つことが予想される。
  実験2では、フィードバックされた自尊心の高さを他の被験者に知らせてよいかを尋ねた。大多数の被験者が知らせてもよいと回答したため、条件間の差は見られず、仮説2「高自尊心条件では、中自尊心条件と低自尊心条件よりも、自分の自尊心の高さを他者に知られることを拒否しやすい」は支持されなかった。
  実験3では、自尊心の高さとOP特性・SP特性がどのように関連していると考えられているかを尋ねたところ、OP特性は中自尊心者で高く、SP特性は高自尊心者、中自尊心者、低自尊心者の順で高いと判断されることが分かった。仮説3「高自尊心条件では、中自尊心条件と低自尊心条件よりも、OP特性は低く、SP特性は高いと回答する」は部分的に支持された。その特性を持つことが他者の利益になるOP特性が高自尊心者では低く、その特性を持つことが本人の利益・他者の脅威になるSP特性が高自尊心者で高いと考えているのであれば、顕在的自尊心尺度に回答する際に自己呈示動機により自尊心を本心よりも低く表明する可能性がある。
  実験4では各被験者に、高自尊心、中自尊心、低自尊心それぞれの、自分にとっての望ましさと、そのような自尊心を持っていると他者から思われる場合の快さを尋ねた。自分にとっての望ましさは高自尊心と中自尊心が低自尊心よりも高く、他者にそう思われる場合の快さは、中自尊心が高自尊心と低自尊心よりも高いことが分かった。仮説4-1「自分にとっての望ましさは、高自尊心、中自尊心、低自尊心の順で高い」および仮説4-2「他者に知られる場合の望ましさは、高自尊心条件では中自尊心条と低自尊心条件よりも低い」は部分的に支持された。
  実験5では、自分にとって最も望ましい自尊心の高さと、他者に知られる場合に最も望ましい自尊心の高さを、各被験者に尋ねた。その結果、誰かに知られる場合に望ましい自尊心の高さは、自分にとって望ましい自尊心の高さよりも低いことが分かり、仮説5「誰かに知られる場合に理想的な自尊心の高さは、自分にとって理想的な自尊心の高さよりも低い」は支持された。実験4と実験5から、本心では高い自尊心を持っている人が顕在的尺度への回答時には中程度になるように回答している可能性が示された。
  これらの実験全体の結果から、日本人にとっても高い自尊心を持つことは望ましいが、他者に知られる際には中程度の自尊心を持つと思われることを望み、その結果として顕在的自尊心尺度の得点が本心よりも低くなっている可能性が示された。仮説が支持されなかった実験についてはいずれも、実験手続きの問題により有意な結果を得られなかったという説明ができる。今後は、尺度への回答時の本心と回答との差を直接的に示す実験や、本心通りに回答しない理由を特定する研究が行われることが望ましい。

 

 



関係維持動機と許し:被害者の勢力感と謝罪の妥当性の観点から
入舟 優


  本研究は対人葛藤場面において、被害者の加害者に対する許し動機の規定因を検討することを目的とした。先行研究では、謝罪自体の有無や内容が許しの度合いに影響を与えることが明らかにされているほか、加害者と被害者との関係性や被害者が感じる勢力感の高低も許しの度合いに影響を与えるという知見が明らかになっている。具体的には、関係を維持しようという動機が働く加害者に対してはそうでない加害者に対してよりも許しが促進されることが示されているほか、勢力感が高い個人は低い個人よりも許しやすい傾向が示されている。  
本研究では、これを踏まえつつ、勢力感が高い個人は目標志向的な行動を取るという理論を下敷きとした。その上で、勢力感、関係を維持したいという動機、謝罪の妥当性が許し動機に対して主効果を持つということのほか、勢力感が高い個人は低い個人よりも、加害者と関係を維持したいという動機によって許しが促進されやすいということ、さらに、勢力感が高い個人は、関係を維持したいという動機が強い場合には謝罪の妥当性に関わらず許しが促進されるということを仮説として、検証を行った。
 また、自分自身に関する公正世界信念が高い個人は寛容性が高くなるという先行研究を参考に、公正世界信念が対人葛藤場面における許しについても影響するのか否か、そしてそれは謝罪の妥当性によって異なる効果を持つのかということを検証することも本研究の目的とした。
 実験は大学生98名を相手に質問紙を配布、回収する形で行われ、質問紙は公正世界信念を測定する質問項目、勢力感を経験想起によって操作するための質問、関係を維持したいという動機や謝罪の妥当性をそれぞれ操作したシナリオ、そのシナリオに関する許し動機などの質問項目などで構成した。シナリオの内容は、回答者自身が同じ大人数講義に参加していた人物にぶつかられて転倒し、足首を捻挫するというものであった。
 結果としては、許し動機の中の下位尺度である和解動機について、謝罪の妥当性、関係を維持したいという動機の主効果のほか、勢力感と関係を維持したいという動機の交互作用、関係を維持したいという動機と謝罪の妥当性の交互作用が認められた。
このことからは、先行研究と同じく勢力感が高い個人は勢力感が低い個人よりも、関係を維持すべきか否かによって許し動機が左右されるということ、また、謝罪の妥当性が低い場合においては関係を維持したいか否かによって許し動機が左右される一方で、謝罪の妥当性が高い場合にはそれによって許し動機が左右されることは無かったことがわかる。
 ここに、勢力感が高い場合には関係の維持という目標が活性化されるという知見が追証されたほか、謝罪の妥当性が勢力感や関係を維持したいか否かよりも強力に許しに影響を与え、謝罪の妥当性が低い場合において初めて関係性が考慮されるというモデルが示唆されたと言える。
 さらに、被害者が被害をどの程度重大だと認知するのかについても、勢力感と関係を維持したいという動機の交互作用が認められ、勢力感が高い場合には、関係性を維持すべき相手の場合の方がそうでない相手の場合よりも被害を重大に認知することが示された。
 この結果は、被害を重大であると認知した方が許し動機は低くなるだろうという一般的な感覚とは異なるものであり、被害の重大さの認知と許し動機の間に対照的な効果が見られたと言える。このことからは、関係を維持したいか否かによって、被害者の感じる被害の重大さは異なる意味を持つこと、つまり関係性が強い場合は被害の重大さは関係性の亀裂の要因としての重大さを意味するのに対し、関係性が低い場合には単純に自らの身に対する被害の重大さを意味するのではないかということが示唆された。
 公正世界信念と許しについては、許し動機の中の和解動機についてのみ相関が認められた。また、その相関は関係を維持したいという動機や謝罪の妥当性が低い場合にのみ認められた。このことから、公正世界信念という個人差変数は、対人葛藤場面においては報復的行動を正しいと認識する様な傾向とは結びつかず、外的要因が特別に許しを促進しない場合においてのみ許しに影響を与えるものであると言えるのではないだろうか。
 今後の研究の課題としては、勢力感と目標志向的行動の理論の中で、対人葛藤場面における謝罪の妥当性がどのような意味合いを持つのかを、シナリオや操作の方法の見直しを行いつつ、さらに検討することなどが挙げられるだろう。

 




確率認知と意思決定
宇都宮 勇樹

 
進化心理学の考え方を使って、2つの仮説を立てた。1つは「たぶん」などの言葉による確率表現の方が、「40%」のような数字による確率表現よりもうまく扱えるというもの(仮説T)。もう1つは、リスク下の意思決定におけるバイアス (Tversky&Kahneman 1981) は確率認知のずれによるものだというものだ(仮説U)。
確率理論は比較的新しい概念なので (安藤 1992) 、心理はうまく扱うことができない。一方言葉による確率は、古くからあるものなので (Corballis 2002) 、より適切に扱えるはずである。
単純な推測課題において、仮説Tは支持された。数値によって表現された確率では、客観的な確率とずれた行動をとったが、言語によって表現された確率を提示すると、確率認知と一致した行動をとった。
  言語的確率情報が適切に扱えるなら、数値的確率情報を言語的確率情報に変換することで認知の真の値が求められる。その値から、確率認知のずれが求められ、リスク下の意思決定におけるバイアスを説明できるはずである。しかし、バイアスを説明することができず、仮説Uは支持されなかった。
思考の二重過程モデルから考えると、「リスク下の意思決定」という文脈が、非意識的で自動的に働く思考を発生され、バイアスが生じたと考えられる。
進化の考え方から導き出した仮説Tが支持された。このような、洞察が得られる進化的視点は有効なツールである。
 

 




社会的ジレンマとしての違法ダウンロード問題の解決
大澤 みどり

 
社会的ジレンマの1つであるといえる違法ダウンロード問題について、違法ダウンロードの刑事罰化によっては違法ダウンロードは減少したとしても協力行動であるところのコンテンツの購入は増加しないであろうとの考えのもと、協力行動を促進させる要因はなにかを明らかにするために調査研究を行なった。「有効性認知が高い人ほど協力行動をとる」「コスト認知が低い人ほど協力行動をとる」「コンテンツ利用に関する道徳意識が高い人ほど協力行動をとる」という仮説を立て、10〜20代の男女81名に質問紙を配布した。刑事罰化前後のコンテンツ視聴数を比較したところ、想定通り刑事罰によって協力行動は増加しないことが分かった。音楽の違法ダウンロードについては刑事罰に抑制効果があることが示された。コンテンツ視聴数のうち協力数(新品購入数とレンタル視聴数)の割合を従属変数とした分析の結果、協力行動を促進するのは有効性認知と道徳意識であり、コスト認知は協力行動を抑制するということが明らかになった。コンテンツの不正視聴に対する道徳意識の平均値が低かったこともあり、今後協力行動を促進させるには若者の道徳意識を高めていく必要がある。


ソーシャルサポートの文化差について、Chenら(2012)の批判的検証
大橋 卓真

 
ソーシャルサポートは「サポート提供者が被サポート者に対し、あなたは愛されている・気にかけられている・他者との人間関係に接続されている、と感じさせる行為」というように定義される行為である(Cobb, 1976;Cohen & Wills, 1985)。比較文化的研究において、サポート行動にはサポート成立頻度やその効果について種々の文化差が存在することが報告されていて(Taylor ら, 2004, 2007; Kim ら, 2006; 内田ら, 2008)、これを集団主義的文化における関係性懸念に起因するものであるという考察が一般になされている(Taylor ら, 2004,;Kim ら, 2006)。本研究は、ソーシャルサポート提供行動の文化差についてサポート型(情緒的・道具的)とサポート動機(親密性獲得・自尊心回復)のみから分析したChen ら(2012)の研究の問題点に着目し、これにサポート要請・実際のサポートの有無や追加のサポート動機(躊躇・幸福感回復)を盛り込み、日本人を対象とした調査においてレプリケーションしたものである。Chen(2012)の問題点は、サポート動機を対象との親密性獲得・対象の自尊心回復の2点に限定していることと、質問紙上のサポート状況想起の手順において、想起された状況におけるサポート要請・実際のサポートの有無をチェックしていない点にあり、これを改善すべくサポート動機に躊躇・対象の幸福感回復の2項目を加えるとともに、サポート要請・実際のサポートの有無のチェックを加えてレプリケーションを行った。サポートの有無に影響する動機としてはChen ら(2012)の想定した親密性獲得・自尊心回復の2項目のみでは不十分であり、幸福感回復動機や躊躇動機が実際のサポートの有無を有意に説明することが分かった。サポート型毎のサポート強度は、情緒的サポートへの親密性獲得動機の効果はChen(2012)と同じく確認されたが、これに加え両サポートに躊躇・幸福感回復の効果が確認された。サポート有無・道具的サポート強度については、サポート要請有りの場合に限定するとサポート動機からの効果が有意にならず、情緒サポートについては幸福感回復動機の効果が有意でなくなった。このことから、サポート要請がサポート動機が実際のサポート行動に与える影響を変容させること、また特に日本人のサポート有無・サポート頻度の議論にあたってはサポート提供者の動機よりもサポート要請自体の効果を研究すべきであることが示唆された。

 

 


死の顕現性が自由意志信念に与える影響
大山 拓

 
自由意志信念、すなわち「自分は自由意志によって行動することができ、他者の行動も自由意志によるものである」という考えが、自己制御過程や向社会・反社会的行動に影響を与えることが明らかにされつつある (Baumeister et al., 2009)。本研究では、自由意志信念が状況に応じて変化する側面を持つことを明らかにするため、自由意志信念が存在脅威管理理論における文化的世界観を構成し、存在脅威緩衝機能を持つ可能性を検討した。存在脅威管理理論においては、死の顕現性が高まると、人は文化的世界観を防衛し、それに適合する自尊心を高揚することで、存在論的脅威を緩衝しようとするとされる(Solomon et al., 1991)。私たちは基本的に自由意志を信じており、様々な社会制度も自由意志の存在を前提としているため、自由意志は文化的世界観を構成すると考えられる。そこで、存在脅威管理理論におけるMS仮説に基づき、「死の顕現性を高める操作を受けた時、存在論的脅威を緩衝するために、自由意志信念が高まる」という仮説を検討した。実験1では、大学生42人を被験者とし、死の顕現性を高めるMS処理を行うMS条件、行わない統制条件に無作為に配分した。まず自由意志の自己にとっての重要性を尺度によって測定し、MS処理を行い、自由意志信念を尺度によって測定した。相関係数の比較および分散分析の結果、自由意志の重要性の高低によって、MS処理が自由意志信念や運命的決定論信念に与える影響が異なることが示された。また、存在論的脅威を緩衝する方略としては、自由意志信念を高める以外にも、運命的決定論信念を高めるなどの複数の方略が存在する可能性が示唆された。実験2では、大学生61人を被験者とし、MS条件と統制条件に無作為に配分した。まず尺度への回答によって特性的な自由意志信念を測定し、MS処理を行った後、自由意志に関するエッセイへの評価を求めた。一般線形モデルによる分析の結果、特性的な自由意志信念が高い人がMS処理を受けると自由意志を否定するエッセイへの評価を下げ、特性的な自由意志信念が低い人がMS処理を受けると、自由意志否定エッセイへの評価を高めることが分かった。特性的な自由意志信念が高い人にとっては自由意志信念が存在脅威緩衝装置として働き、特性的な自由意志信念が低い人にとっては自由意志信念の低さ、すなわち決定論信念が存在脅威緩衝装置として働くと考えられる。これは、文化的世界観における自由意志信念と決定論信念の二重性に起因するものと考えられる。自由意志と決定論は一見対立する概念であるが、実際の私たちの文化では、その両方が受け入れられている。そのため、特性的な自由意志信念の内容により、自由意志信念と決定論信念のどちらもが存在脅威緩衝装置として働きうるのであろう。今後は、存在脅威管理理論におけるCAB仮説の検討などを通して、自由意志・決定論信念の機能をさらに探っていくべきである。

 

 

 


「甘え」における社会的交換に関する研究
勝美 恵一


  本研究では、山口 (2003) に基づき、甘えを「自分の行動や願望が、相手からは不適切とみなされているにもかかわらず、相手がそれを受け入れてくれることを期待すること」と定義した。甘えの依頼でやり取りされる財の特徴と依頼者の性別の効果を検討するため、依頼者の性別を被験者間要因、財の種類を被験者内要因とし、武蔵野大学と関西大学の大学生を対象にした質問紙実験を行った。
財の分類は、Foa & Foa (1974) の資源交換理論に基づく5種類とした。資源交換理論とは、社会でやり取りされる財を、それが形ある具体的なものか抽象的なものかを表す「具体性」と、その財をもたらした人によって嬉しさや価値が変わるものかそうでないものかを表す「個別性」の2種類の軸によって分類するものである。資源交換理論によれば、個別性の高い財や具体性の低い財は与えられた財に対する適切な返報の程度を判断するのが難しいため、友人・恋愛関係などを維持することによって長期的で互酬的な交換がなされることが多いという。親密な友人関係で起こりやすい甘えにおいてもそのような財が交換されやすいと考え、本研究では個別性が高い財と具体性が低い財を甘えて依頼した時に被依頼者の気分が良くなり、依頼の受け入れが促進されると予測した。
  また、依頼者が同性の時よりも異性の時の方がうれしさなどのポジティブな反応が多いという前年度の実験実習の結果から、依頼者が異性の時ほど被依頼者の気分が良くなり、依頼の受け入れが促進されると予測した。
実験の結果、具体性の低い財と個別性の低い財は甘えて依頼されるよりも普通に依頼された方が被依頼者の気分が良くなり、依頼を受け入れたいという気持ちも強まっていることが分かった。具体性の低さについては、「具体性が低いほど甘えて依頼された時に被依頼者の気分が良くなり受け入れに前向きになる」という本研究の想定とは逆の結果であり、具体性が低い財は甘えて依頼するのに適していないことが分かる。個別性については、「個別性が高い財ほど甘えられた時に気分が良くなり受け入れにも前向きになる」という仮説の想定とは異なるものの、個別性の低い財は甘えて依頼するよりも普通に依頼する方が好ましいということを示しているため、本研究の仮説を一部支持する結果といえる。このことから、甘えて依頼するのに適した財とそうでない財があり、具体性と個別性が低い財は甘えて依頼することが難しい財であるといえる。その一方で、具体性と個別性の高い財は甘えて頼むことが可能な財であり、状況によっては甘えて依頼をすることによって被依頼者の感情を良好にし、受け入れを促進させることが期待できる。ただし、この考察は「甘えて頼むことが可能である」という結果に基づいているだけであり、必ずしも甘えた方が相手の気分を良くして依頼の受け入れを促進するというわけではない。甘えた依頼ができる財であっても、相手との親密度や自分の立場などの状況に応じて依頼の方略を使い分けていくべきだといえ、どんな時に甘えの効果が表れるかという点については、さらなる研究が必要といえる。
  また、依頼者の性別は一部の財を除き依頼された時の気分や依頼の受け入れに有意な影響を与えていなかった。一部見られた有意な効果は依頼者が同性の時よりも異性の時の方が依頼の受け入れに前向きになるという効果であったため、仮説を一部支持する結果であったといえる。しかし全ての財で一貫した結果は得られなかったため、依頼者の性別以外にも甘えの受け入れや被依頼者の気分を左右する要素が複数存在することが考えられる。本研究では依頼者を「仲の良い (同性・異性) の友人」と提示しただけであったが、今後は依頼者の性別だけでなく、年齢・上下関係や親密度、さらには被験者自身が甘えを好ましく思っているかどうかなど様々な要因を含めて研究を進めていく必要があるといえるだろう。
 

 




主観的幸福感概念の再構成に向けて
熊谷 亮

 
本演習の目的は、主観的幸福感(SWB)概念の再構成の方向性を検討することである。SWB概念の構造は、認知的側面である生活満足度と感情的側面である感情的WB(ポジティブ感情とネガティブ感情)に区別されるが、測定の簡便さから長年にわたって生活満足度の研究がSWB研究の主流であった。これに対し、カーネマンらは生活満足度の回顧的評価の際にともなうバイアスの存在を指摘し、生活満足度は実際に経験されたSWBを反映していないと主張した。同時に、感情的WBのみをSWBとする立場から、新たな測定方法を提案した。こうした議論は、従来のSWBの概念規定を見直す必要性があることを示している。
 本演習では、SWB概念の再構成に向けた具体的方向性を探る目的で、まずSWBの概念問題に関わる先行研究を整理した。SWB研究におけるレビューでは生活満足度と感情的WBを区別せずにまとめられることが多かった点を考慮して、SWBの認知的側面と感情的側面を明確に区別する観点から検討を加えた。感情的WBは生活満足度と比べSWB概念として妥当であるが、ポジティブ感情とネガティブ感情については独立した概念として捉えたうえで、両者のバランス、平均的水準、感情経験の頻度・強度、一定期間における変動パターンなど異なる側面から評価する工夫が必要である。また、SWBには長期的な安定水準を規定する性格特性の存在を指摘できることから、特性的な幸福感という概念を導入することも有効であると考える。一方、生活満足度については測定時のバイアス以外にも定義上の曖昧さを排除できないため、実証研究に用いる概念・尺度としては問題点が多い。認知的側面を考慮するならば、幸福に関する規範意識として測定することが感情的WBの正確な理解につながるものと考える。
 

 

 



競合目標の非意識的な活性化とその達成が焦点目標の遂行に与える影響の検討
櫻井 良祐

人は様々な目標を持っており、それを達成するために自身の行動や認知を制御している。自動動機理論によると、目標は心的表象として個人内に保持されており、それと連合した環境刺激の知覚によって活性化し、目標志向的行動を自動的に駆動すると仮定される(Bargh, 1990)。この仮定より、日常、様々な環境刺激にさらされている我々の内部では、複数の目標が活性化しており、それらの達成に向けた行動をとるよう動機づけられていると考えられる。しかし、人の認知的・動機的資源は有限であるため、複数の目標を同時に追求することは困難である(Cavallo& Fitzsimons, 2011)。このような状況において、そのとき最も優先すべき目標(焦点目標)を達成するために、競合する目標をどのように管理するかということは、効率的な自己制御を行う上で重要な問題だといえるだろう。本研究では、競合目標の非意識的な活性化とその達成が焦点目標の遂行に与える影響について、焦点目標の重要性の認知に注目しながら検討する。
 競合目標の非意識的な活性化は、焦点目標の遂行を阻害することが知られている(Shah &Kruglanski, 2002; Marien, Custers, Hassin, &Aarts, 2012)。この阻害効果は、競合目標の活性化によって、その達成に向けた行動の準備のために焦点目標から制御資源を奪う結果生じると仮定される。この仮定より、競合目標が達成されれば、以後、その達成に向けた行動の準備を行う必要がなくなるため、競合目標の活性化による阻害効果が生じなくなると考えられる。したがって、競合目標が非意識的に活性化されているとき、その目標を達成することで、焦点目標の遂行量は増加すると予測される。
 他方、上記の競合目標の非意識的な活性化とその達成の効果は、焦点目標の重要性を高く認知しているときには生じないと予測される。Shah, Friedman, &Kruglanski(2002)は、人には、焦点目標の効率的な達成を促す非意識的な自己制御メカニズムとして、目標保護機能が備わっていると主張した。具体的には、焦点目標へのコミットメントが、焦点目標の活性化と競合目標の抑制を介して、焦点目標の遂行を高めることを示した。この知見より、焦点目標の重要性を高く認知しているとき、競合目標の非意識的な活性化による阻害効果は、目標保護機能によって消失することが示唆される。他方、このような非意識的な自己制御は制御資源を消費すると考えられるため、競合目標の達成により、焦点目標の遂行量は減少すると予測される。
 以上の予測を仮説として検討する。
仮説1:競合目標が非意識的に活性化されているとき、焦点目標の重要性を高く認知しているほど、競合目標の達成前後で焦点目標の遂行量は減少する
仮説2:競合目標が非意識的に活性化されていないとき、焦点目標の重要性の認知は、競合目標達成前後の焦点目標の遂行量に影響を与えない
 実験には東京大学の大学生・大学院生60名が参加した(内2名は高齢のため分析から除外)。実験の目的は、色を判断する能力と想像力をストループ課題とストーリー課題によってそれぞれ測定することだと教示された。ストループ課題は呈示された文字の色をできるだけ素早く正確に答える課題であり、ストーリー課題は呈示された画像からできるだけ独創的なストーリーを作る課題であった。実験は、ストループ課題の重要性の測定、ストループ課題(前半)、ストーリー課題、ストループ課題(後半)の順序で行われた。ストループ課題中に競合目標のプライミング操作を行った。具体的には、プライミングあり条件では、1試行ごとにストーリー課題で用いる画像の一部(5種類)を閾下で呈示し、プライミングなし条件では、白色無地の画像を閾下で呈示した。
 プライミング(あり・なし;参加者間)×ストループ課題の重要性(連続変量)を独立変数とし、ストループ課題の成績の変化量(後半の成績から前半の成績を減算)を従属変数とした一般線形モデルによる分析を行ったところ、仮説を支持する結果が得られた。具体的には、プライミングあり条件では、ストループ課題の重要性を高く認知しているほど後半のストループ課題の成績が低下したが、プライミングなし条件では、ストループ課題の重要性の認知はストループ課題の成績の変化量に影響を与えなかったことがわかった。
 この結果より、競合目標の非意識的な活性化による焦点目標の保護や、競合目標の達成による阻害効果の消失の存在が示唆された。また、目標競合時における迅速な競合目標の達成が効果的な自己制御方略として機能することが示唆された。焦点目標の重要性を高く認知しているときは、競合目標の活性化により非意識的な目標保護が駆動し、制御資源が消費され、後続の目標遂行を悪化させる可能性があり、重要性を低く認知しているときは、阻害効果が生じると考えられるからである。今後の展望として、目標保護のメカニズムの直接的な検討や、焦点目標の重要性認知を実験的に操作した研究を行うことが挙げられた。"

 

 

 


悲観主義のもつ肯定的側面の考察―防衛的悲観主義理論に着目して―
下江 美奈

 
現在、楽観主義は適応的であり、悲観主義は非適応的であるという言説は定説となっており、近年注目されているポジティブ心理学でもこうした定説が根源にある。しかしながら、Noremらは、悲観主義の肯定的側面に目を向け、防衛的悲観主義理論を提唱し、悲観的思考を行うことでかえって高いパフォーマンスを示す人々の存在を明らかにした。防衛的悲観主義者についての様々な研究の中で、防衛的悲観主義者は楽観主義者と同等の成果を上げることができると示されたことから、課題達成場面や対人場面などにおいて、悲観主義は楽観主義よりも劣っているわけではなく、ポジティブな役割や機能を持っているということがわかっている。ただし、Noremは防衛的悲観主義理論において、個人の認知的方略を、防衛的悲観主義・方略的楽観主義・非現実的楽観主義・真の悲観主義の四つに分類しているが、その分類方法やそれに伴う研究には大きく二つの問題点がある。一つは、個人内の変動性や連続性を仮定していないことであり、もう一つは、従来の研究では、防衛的悲観主義と方略的楽観主義ばかり取り上げられ、非現実的楽観主義や真の悲観主義については研究があまり行われていないということである。したがって、本論文では、防衛的悲観主義理論を考察するとともに、こうした問題点に対する改善策や新たな枠組みについて検討した。

 

 

 


他者との親密度が透明性の錯覚に及ぼす影響
舘野 洋輔

  本研究では,対人認知におけるバイアスの一つである透明性の錯覚を扱い,他者との親密度に関するさまざまな指標および社会的望ましさ反応との関連を検討した。相関分析の結果,心理的指標であるIOS尺度が,見透かされの推測との間と,見透かしの推測との間に正の相関をもっていたが,見透かされの過大視,見透かしの過大視に関しては相関がみられなかった。また,行動的指標の多くは,見透かされの推測と有意な相関をもち,特に接触時間が,見透かされの過大視も含めた回答者側の透明性の錯覚に及ぼす影響が大きいことが示唆された。しかし,行動的指標は,推測者側の透明性の錯覚に関する指標とは有意な相関をもたなかった。これらの結果をもとに,他者との親密度の特定の側面が,透明性の錯覚に影響を及ぼすメカニズムについて考察がなされた。さらに,バランス型社会的望ましさ反応尺度と透明性の錯覚に関する指標との相関分析から,透明性の推測を低く見積もって回答させるような社会的規範の存在可能性が示された。
 

 

 



スマートフォン利用の社会的帰結について
田中 義裕

  本研究では、スマートフォン利用の社会的帰結について論じるため、スマートフォンによるコミュニケーションと社会的寛容性に注目し、5つのリサーチクエスチョンの検討を行った。第1に、スマートフォン利用者と従来の携帯電話の利用者では、コミュニケーションの様相に違いがあるかを検討した。その結果、スマートフォン利用者は様々なコミュニケーション手段、コミュニケーション相手ともに多様性が増していた。また、コミュニケーションの総量もスマートフォンの利用者の方が多かった。第2にスマートフォンの利用で、従来の携帯メールとPCメールの役割は変わったかを検討した。その結果、PCメールは社会的寛容性に対して負の効果を持つという、先行研究と一致しない結果が得られた。また、スマートフォン利用者の方がPCメールの送信数が社会的寛容性もたらす負の効果を強めるという交互作用も確認された。第3に、コミュニケーションの相手が社会的寛容性に与える影響を検討した。その結果、スマートフォン利用は強い紐帯、弱い紐帯とのコミュニケーションをともに押し上げ、その上で弱い紐帯とのコミュニケーションは社会的寛容性を押し上げることがわかった。第4にコミュニケーション手段の影響を検討した。その結果、通話は社会的寛容性に負の効果をもつ傾向にあり、SNSのコメントが正の効果をもっていた。最後にSNS上の情報の異質性は、紐帯の維持と社会的寛容性にどのような影響を与えるかを検討した。その結果、SNSごとに異なる結果が得られ、Facebookにおいて異質な情報が社会的寛容性に正の効果をもち、排除行動が負の効果をもつことがわかった。これらの結果から、スマートフォンはICTによるコミュニケーションを大きく変化させたこと、人々は新しいコミュニケーション手段を社会的文脈によって使い分けていることが示唆された。また、SNSが弱い紐帯とのコミュニケーション手段として重要な役割を果たしており、社会的寛容性に影響を与える情報・対人接触の場となっていることが明らかになった。本研究は、スマートフォンやSNSによる新たなコミュニケーションの現状を明らかにし、ICTによるコミュニケーションと社会的寛容性との関係のモデルを精緻化したと言える。

 

 

 


個人の集団主義的特性が集団構成員の評価に与える影響について
坪井 真之介

 
本研究では、個人の集団主義的特性が、集団構成員の評価にどのような影響を与えるのかについて検討した。集団主義とは、「集団の調和の維持を重視し、集団の目標を個人の目標よりも優先させる傾向」のことを意味し、個人の集団主義的特性は、親和傾向・拒否への感受性と正の相関を持つが、一方で独自性欲求とは負の相関を持つことが知られている(Yamaguchi, Kuhlman &Sugimori, 1995)。では、そうした特性を持つ人々は、「集団の調和の維持」と「集団目標の達成」のどちらを重視して、集団に所属している他者を評価するのであろうか。本研究では、前者をWarmth、後者をCompetenceと定義して、会社の中に@Competenceは低いがWarmthが高い社員とACompetenceは高いがWarmthが低い社員がいたときに、集団主義的傾向が強い人はAよりも@を高く評価する、という仮説を立て、質問紙による実験を行った。
  実験は、2012年10月からおよそ1ヶ月間、奈良大学・東京大学をはじめとした学生計143名に対して行った。分析の結果、集団主義的傾向が弱い人は「どのくらいその人と一緒に働きたいか(同僚としての望ましさ)」の値がCompetenceの評価、Warmthの評価と正の相関を持っていたのに対し、集団主義的傾向が強い人ではWarmthの評価とのみ正の相関を持っていた。また、「仕事の成功時に、その人にどのくらい報酬を配分するべきか」という判断においても、集団主義的傾向が弱い人はCompetenceの高さのみが正の効果を与えていたのに対し、集団主義的傾向が強い人はそれに加えて同僚としての望ましさの高さも正の効果を与えていた。
  以上の結果より、集団主義的傾向が強い人はそうでない人と比べて@を高く評価する傾向が見られたが、それは必ずしもAに対する評価を超えるものではなかった。また、「どのくらいその人が会社に必要であるか」という評価において、集団主義的傾向が弱い人は@とAの間に有意な差はなく、またその値は同僚としての望ましさと正の相関を持っていた。しかし、集団主義的傾向が強い人は@よりもAの必要度を高く評価しており、またその値は同僚としての望ましさと有意な相関を持っていなかった。すなわち、集団主義的傾向が強い人は、弱い人と異なり、「会社に必要な人=一緒に働きたい人ではない」という葛藤状態にあると考えられる。こうした葛藤状態が、集団内におけるその他の認知・行動にどのような影響を与えているのかについては、更なる検討を加える必要がある。

 

 


インターネットによる情報収集が政治意識に及ぼす影響について
中野 陽太

  ネット右翼という言葉が端的に表しているように、インターネットへの依存度が高い人は極端な意見を抱きやすいという印象が、日本社会では広がっている。それは妥当な指摘なのだろうか。Sunstein (2002)、辻 (2008)、Pariser (2011)らの先行研究では、インターネット上ではフィルターバブル効果やサイバーカスケード現象に加え、利用者自身の選択的接触が意見を偏らせる原因となっている、とされている。それでは、インターネットは具体的にどのような偏りを生むのか。その偏りは一方向的なのか、あるいは双方向的なのか。
 本研究では、日本人が多く利用する日本語のサイトには必然的に日本人が多く集まることから、政治関連ニュースの収集のためのインターネットの利用は、普遍的なナショナリズムの偏りを生みだす、という仮説を立てた。具体的には、フィルターバブルや選択的接触により、右翼寄りの考えの人は右傾化、左翼寄りの考えの人は左傾化が推進されると考えた。一方で、利用者間の相互作用のある、匿名掲示板やTwitterといったインターネットサービスではサイバーカスケード現象により少数派の意見が駆逐されることが考えられるため、これらのサービスでは普遍的な右傾化が進むと考えた。
 以上の仮説を検証するため、独立変数を各マスメディア、及び各インターネットサービスの政治関連ニュース収集のための利用、従属変数を田辺 (2011)によるナショナリズム尺度と反中感情として質問項目を作成し、質問紙による郵送調査を行った。回答のあった20〜49歳の男女126人の回答を分析した結果、前述の仮説を部分的に支持する結果を得ることができた。すなわち、いくつかの独立変数と従属変数の組み合わせではフィルターバブル効果、選択的接触、サイバーカスケード現象のいずれも現に発生しているという知見は得られた。一方で、必ずしもインターネットへの依存度が高ければ高いほど思想が極端化するわけでもないという可能性をほのめかす結果も得ることができた。
 仮説に沿う有意義な結果をいくつか得ることはできたが、例えばインターネットの利用全般が右傾化あるいは左傾化に正の影響を及ぼす、というような決定的な結果を得ることはできなかった。
 今後の改良案としては、独立変数ではインターネット利用変数の細分化及び精密化、統制変数ではメディアリテラシーやフィルターバブルに関する知識を問う質問項目を加えることで、更に決定的な結果を得られるだろう。

 

 

 


説得的コミュニケーションにおいて説得者の社会的地位と被説得者の心理的リアクタンスが説得効果に与える影響
牧田 開

 ヒューリスティック・システマティック・モデル(HSM) (Chaiken, Liberman, & Eagly, 1989)によると、人は説得的コミュニケーションを受けた際に、まずは認知的資源を節約するため、ヒューリスティックを利用して説得内容の是非を判断する傾向にある。Brehm (1981)の提唱した心理的リアクタンス理論によると、人は自らの行動の自由が脅威に晒されると、失われた自由を回復しようとして制限された行動をとろうとする。本研究では、高地位者による説得の効果は、心理的リアクタンス傾向の高い被説得者に対しての場合において低くなると予想し、以下のように仮説を立て、実験により検討することとする。仮説1 : 説得者の社会的地位が高いと、人は説得されやすい。仮説2 : 心理的リアクタンスが高い人は説得されにくい。仮説3 : 心理的リアクタンスが高くなればなるほど、仮説1の効果は弱まる。  
 本研究では、質問紙によるシナリオ実験を実施した。シナリオは2種類用意し、それぞれを無作為に実験参加者へ配布し、回答を得た。実験参加者は62名で全員が大学生または大学院生であった。年齢は18歳から24歳で、平均-は21.39歳であった。男性が34名、女性が26名、不明が2名いた。心理的リアクタンス測定の測定には、Hong & Page (1989) のHong尺度14項目を、今城 (1999a) が日本語版に修正したものを使用した。説得の効果についての測定は以下のように行った。大学における卒業試験の導入というテーマについての態度を、シナリオ(説得的メッセージ)提示前後の2回に分けて測定した。測定項目は、卒業試験導入について賛成か反対か、卒業試験導入というテーマがどれくらい重要だと思うかの2点だった。本実験では、シナリオに出てくる登場人物の特性を操作することによって、説得者の社会的地位を操作した。シナリオの内容は、卒業試験の導入についてのインタビュー記事の紹介だった。記事におけるインタビュー対象者の社会的地位を高低の2条件用意して操作することとした。シナリオにおける操作がうまく働いているかどうかを確かめるために、シナリオ提示後にインタビュー対象者の社会的地位の評定も行った。  
 次に実験の分析結果について記述する。はじめに、地位の高低の操作が働いているかどうかについて、独立変数をインタビュー対象者の地位の操作(地位高群・地位低群)、従属変数をインタビュー対象者の社会的地位の評定として、t検定を行った。その結果、地位高群と地位低群の間でインタビュー対象者の社会的地位の評定に有意差は見られなかった。操作が不十分であったため、インタビュー対象者に対する社会的地位評定得点から実験参加者自身に対する社会的地位評定得点を引いた値、つまり自分よりどれほどインタビュー対象者の社会的地位が高いと認知しているかを、仮説検証の独立変数として用いることとした。以下、これを社会的地位得点と称する。次に、インタビュー記事提示前後における態度の変化量(記事を受けてどれだけより賛成に意見を近づけたか)、インタビュー記事提示前後における卒業試験導入というテーマに関する重要性認知の変化量(記事を受けてどれだけより卒業試験を重要だと感じたか)、心理的リアクタンス、社会的地位得点の4変数間の相関関係を分析した。その結果、態度変化と重要性変化の間以外で変数間の有意な相関は見られなかった。4変数間の相関の様子をもとに、相関の大きかった重要性認知の変化量、心理的リアクタンス、社会的地位得点の3変数について、重要性認知の変化量を従属変数として重回帰分析を行い、仮説3の交互作用について検討した。しかし、交互作用は有意ではなかった。  
 結果から、本実験における操作は有効に働いていなかったと考えられる。原因としては、以下のようなものが考えられるであろう。ITベンチャーの社長に対するイメージが社会的地位の評価につながらなかった可能性がある。本実験では、低地位条件の若手社員との間で年齢を統制するために若手社長としたが、今後検討すべき点であろう。続いて、態度変化、重要性変化、心理的リアクタンス、社会的地位得点の4変数間で態度変化と重要性変化の相関が見られなかったことについて考察する。この原因として、態度変化と重要性変化の測定の仕方に問題があった可能性がある。仮説3 を検討するために社会的地位得点と心理的リアクタンスの交互作用が重要性変化に与える影響について重回帰分析を行ったが、有意な結果は得られなかった。だが、この結果については仮説1と仮説2が支持されていない以上、解釈を与えにくい。
 

 

「甘え」の仕草についての研究
横尾 健矢


  本研究で注目したのは、甘えるときに行われる独特な仕草やふるまいについてである。人は甘えるとき、甘えのときにしか見られない「猫なで声」や「なれなれしい」などのうちくだけた仕草を行うことがわかっている。しかし、それらの甘えの仕草がどのように行われるのか、なぜ行われるのかというところがいまだわかっていない。そこで、甘えに独特な仕草が行われる理由についてより深く検討すべく、相手との関係性によって甘えの仕草の程度や種類が異なること、また仕草によって伝えようとしていることが存在すると考え実験を行った。
関西大学の学生216名を対象に、甘えてお願いをするか、正当なお願いをするかを被験者間で、親、同性の友人、親密な異性の誰にお願いをするかを被験者内で操作した質問紙を配布し、甘えの仕草の程度、種類、また伝えようと意識していることについて尋ねた。伝えようと意識していることは、正当さを伝える意識、弱さを伝える意識、親密さを伝える意識の3つを尋ねた。
  その結果、甘えてお願いをするときに甘えの仕草の程度が高まるだけでなく、親密な異性に対しては、親や同性の友人よりも甘えの仕草の程度が高まることがわかった。また、お願いをする相手によらず、弱さを伝える意識、親密さを伝える意識が高いほど甘えの仕草の程度が高まることがわかった。しかし、仕草の種類を、正当さを伝える仕草、弱さを伝える仕草、親密さを伝える仕草、甘えた仕草に分類し、それらと甘えの仕草の程度との関係を調べた結果、弱さを伝える仕草や親密さを伝える仕草をした数は、誰にお願いをするかによらず甘えの仕草の程度に影響を与えているわけではなかった。すなわち、お願いをする相手によって、同じ意識と仕草でも、甘えの仕草の程度には反映しなかったのである。
このことから、甘えるときに伝えようと意識していることは同じであるが、相手によって甘えの仕草の受け止められ方が異なり、最もお願いが受け入れられやすいように甘えの仕草の程度や種類を変えているのではないかと思われる。

 

 



被排斥者の反社会的行動を抑制する方略の検討
吉元 優花

  本研究では、排斥を受けると促進される反社会的行動をいかに抑制しうるかという問いに発し、自己肯定操作と社会的自己制御が排斥操作後の反社会的行動にどのような効果を与えるかを検討した。
 Schmeichel & Vohs (2009)は、先行課題で自己制御を行うことにより資源を消費すると、低水準の認識作用しか行えなくなるために、後続課題で自己制御が低下し制御消耗効果が見られることを示した。彼らの研究では、資源消費後でも自己肯定を行うと認識作用が高水準化し、自己制御が改善されて制御消耗効果が消失した。自己肯定(自己価値確認; Steele, 1988)とは「自己の知覚された統合性、全体的適応的道徳的な適切さを促進する行動的、認知的事象(押見, 2011)」である。すなわち、排斥を受けたことで低水準の認識作用に陥り、自己制御が低下しても、自己肯定を行えば高水準の認識作用に移行でき、自己制御が回復して反社会的行動が抑制されると推測できる。以上から、本研究では「社会的排斥を受けると、反社会的行動が促進される」「社会的排斥を受けても、自己を肯定すると反社会的行動が促進されない」という2つの仮説を立てた。
これまで、自己肯定操作が排斥のもたらす制御消耗効果に対しても有効であるかについては、研究が行われてこなかった。本研究では、排斥による自己制御の低下に対しても自己肯定操作が抑制効果をもつかどうか、自分自身にとって重要な価値について詳しい記述を行うという自己肯定操作がそもそも被排斥者に可能であるかどうか、の2点を実験を通して検討した。
 排斥によって自己制御が低下し、反社会的行動が促進されると考える以上、人々が特性として持つ自己制御の高さの違いも考慮に入れる必要がある。本研究で扱う自己制御は社会的状況におけるものであるため、社会的自己制御(Social Self-Regulation; SSR)を測定し変数として用いた。社会的自己制御は「社会的場面で、個人の欲求や意思と現状認知との間でズレが起こった時に、内的基準・外的基準の必要性に応じて自己を主張するもしくは抑制する能力(原田・吉澤・吉田, 2008)」と定義されている。すなわち社会的自己制御は社会で求められる適切な行動を取る能力だということができ、社会的自己制御が高いほど反社会的行動を抑制する能力が高いと考えられる。よって、「社会的排斥を受けても、社会的自己制御(SSR)が高いと反社会的行動が促進されない」という仮説についても検証した。
  仮説「社会的排斥を受けると、反社会的行動が促進される」については、支持する結果が得られなかった。自分に好意的な人に対する反社会的行動は促進されにくいという結果が先行研究で示されていることを考慮すると、本実験ではディセプションの設定上、反社会的行動(早押しゲームの罰であるノイズ)の対象が知り合い・友人になる可能性を参加者が認識していた場合があったため、排斥による反社会的行動の有意な促進が見られなかったものと考えられる。
  仮説「社会的排斥を受けても、自己を肯定すると反社会的行動が促進されない」については、受容条件のみで自己肯定操作の効果があらわれ、仮説は全く支持されなかった。操作チェックとして行った参加者の記述行数についての分析に着目すると、排斥条件の参加者は排斥を受けたことによって熟考することが困難になっており、自己肯定操作を有効に行うことができなかったため、受容条件のみで自己肯定操作の効果が見られたと考えられる。
  仮説「社会的排斥を受けても、社会的自己制御(SSR)が高いと反社会的行動が促進されない」については、排斥を受けた場合に社会的自己制御が低いと反社会的行動が促進されるが、社会的自己制御が高いと反社会的行動は促進されないことがわかり、仮説は支持された。社会的自己制御が高い人は排斥を受けても自己制御を行うだけの資源が保たれるため、反社会的行動が促進されにくいが、社会的自己制御が低い人は排斥を受けると資源が枯渇し、自己制御が低下して反社会的行動が促進されやすいと考えられる。本研究では、社会的自己制御の高低は、操作によるものではなくあくまで個人特性として測定したものだが、高い社会的自己制御が排斥による悪影響を低減する可能性を示唆することができた。
  以上のことから、被排斥者の反社会的行動を抑制する方略としては、成績フィードバックやプライミングなど、複雑な思考を必要としない方法で社会的自己制御を高めるというものと、訓練によって自己制御そのものを高めるというものが挙げられる。被排斥者自身の精神的健康を維持するためにも、被排斥者による反社会的行動を抑止するという意味では社会全体のためにも、今後、社会的排斥に関する研究のさらなる発展が望まれる。


参考文献
原田知佳・吉澤寛之・吉田俊和 (2008). 社会的自己制御(Social Self-Regulation)尺度の作成――妥当性の検討および行動抑制/行動接近システム・実行注意制御との関連―― パーソナリティ研究, 17, 82-94.
押見輝男 (2011). 社会的排斥についての研究ノート(U)――自己コントロールに及ぼす抑止効果―― 立教大学心理学研究, 53, 29-39.
Schmeichel, B. J., & Vohs, K. (2009). Self-affirmation and self-control: Affirming core values counteracts ego depletion. Journal of Personality and Social Psychology, 96(4), 770-782.
Steele, C. M. (1988). The psychology of self-affirmation: Sustaining the integrity of the self. Advances in Experimental Social Psychology, 21, 261-302.
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上下関係と親密度が謙遜の効果に与える影響
渡邊 理紗

  「日本人はよく謙遜する」といわれるが、この常識が実態を正確に表しているのかどうかには疑問の余地がある。本研究は、日本人に特有といわれる謙遜はコミットメント関係の重要度が高い日本社会に適応するための戦略であると考え、相手との関係性の違いによる謙遜の効果の違いについて、謙遜の被呈示者が受ける印象から検討した。
先行研究からは、親密度が高くなるほど謙遜の頻度が低下することや、相手との適切な地位関係を維持しようとする形で謙遜が行われることが知られている。また、中国から伝えられ日本で独自の発達を遂げた「面子」概念によれば、日本人にとって社会的立場に相応しい待遇を受けることこそが面子を保つことであり、立場が上の相手の面子はより重要とされる。このため目上の者に対しては、自分の成果や能力を低く呈示して地位の差異を明確化し、相手の面子を保つ行為として謙遜が選択される。
そこで本研究では、相手との関係性を示す変数として上下関係と親密度を取り上げ、相手との間に明確な上下関係がある場合には、親密度に関わらず上下関係に応じた謙遜の使用が好意的に受け取られるが、相手と対等な立場の場合は、親密度の高低によって謙遜の効果が異なると考えた。具体的には、「相手の方が立場が上の時、親密度に関わらず謙遜されなかった場合の方が好印象を抱く」「自分の方が立場が上の時、親密度に関わらず謙遜された場合の方が好印象を抱く」「相手との間に地位格差がないとき、親密度が高ければ謙遜されなかった場合の方が、親密度が低ければ謙遜された方が、それぞれ好印象を抱く」という仮説を立てた。大学生を中心とした男女75名を実験参加者とし、上下関係を先輩/同輩/後輩の3水準、親密度を高低2水準で操作した6条件のシナリオを用い、架空の人物について印象を評定する実験を行った。対象人物が何らかの成果をあげた場面を提示し、謙遜する人物としない人物それぞれの印象を評定することによって謙遜の効果を測定した。さらに場面設定の違いによる謙遜の効果の違いを測定するため、サークルと研究という2種類のシナリオについて同様の実験を行った。従属変数として、相手との間に感じる心理的距離、対人魅力および性格特性をシナリオ提示後に測定した。
分散分析の結果、想定したような上下関係と親密度の効果はほとんどみられず、全体として謙遜すると印象が下がるという謙遜のネガティブな効果が示された。ただし性格特性の中でも親しみやすさに関しては、謙遜された場合の親しみやすさの低下の度合いは親密度が高い方が大きく、親しい相手から謙遜されると親しみやすさが大きく低下するという、仮説と一部合致する結果も得られた。従属変数によって謙遜の効果には少しずつ違いがみられ、対人判断の多次元性が示唆された。上下関係が効果をもたなかったことについては、大学を舞台にした実験操作の限界も指摘された。またシナリオの種類によっても謙遜の効果に違いがみられ、場面によって謙遜の望ましさが異なる可能性が示された。これはサークルと研究という集団の性質の違いから、目的達成と集団維持という集団の持つ2つの機能のうちどちらを重視するかが異なり、それによってどのような人物が高く評価されるのかに違いがあるためであると考えられたが、こうした考察は探索的なものであり、今後さらなる研究が期待された。"