氏名 題目 概要
植村俊介 死の顕現性および認知負荷の文化的世界観への影響に関する研究

 存在脅威管理理論においては存在脅威に対して,文化的世界観の防衛反応によって対処することがさまざまな研究において確かめられている。そのプロセスをより詳細に記述したものがDual-Process Modelであり,認知負荷を加えることで防衛反応のタイミングに変化があることを検討している。
Holbrookら(2011)は文化的世界観の防衛反応に,単なる感情価への過剰反応という別解釈を導入したが,これをより進めてDual-Process Modelにおける文化的世界観の防衛反応についても,感情価への過剰反応で説明できるとの仮説を立てて,被験者間2要因(MS処理の有無,認知負荷の有無),被験者内2要因(文化関連性,遅延課題の前後)の4要因分散分析を行ったところ,仮説は支持されず,Dual-Process Model における文化的世界観の防衛反応はすべて感情価への過剰反応だけで説明することは難しいことがわかった。

奥田絢 時間的距離がポジティブ・ネガティブな出来事への受容感に与える影響についてー出来事の重要度の区分を踏まえてー

 本研究では、心理的距離と解釈レベルの操作は異なるものであり、遠い(近い)心理的距離の操作が必ずしも抽象的(具体的)な解釈レベルの操作と結びつくわけではないとするWilliams et al.(2012)の研究結果について、心理的距離を測定する尺度を時間的距離に変更して再確認すること、並びに、ネガティブな出来事に対して、抽象的な解釈が有効だとするWilliams et al. (2012)の研究と、具体的な解釈が有効だとするWatkins, E., Moberly, N. J., & Moulds, M.L. (2008) らの研究の間にある矛盾について、出来事の重要度の区分を設けて検討することを目的とした。実験の結果、ネガティブ・ポジティブな経験ともに、一部のシナリオにおいてWilliams et al.(2012)の先行研究の通り、遠い(近い)心理的距離の操作と抽象的(具体的)な解釈レベルの操作が異なる作用をもたらすことを支持する結果が示された。また、シナリオの限定性はあるものの、経験の受けいれやすさに関しては仮説通り、重要度が高いネガティブな経験は具体的に解釈すること、重要度が低いネガティブな経験は抽象的に解釈することが有効であると認められた。つまり、重要度の区分が先行研究間の矛盾点を解消する糸口となる可能性があることが示唆された。
 今後の課題としては、重要度以外のシナリオ間の質的な違いや操作方法について見直しを行いつつ、より理論を精緻化させていくことが必要だと考えられる。

 

菊池北斗 自由意志信念による性役割ステレオタイプの抑制可能性の検討

 自由意志の不信が自己制御を抑制し、性役割ステレオタイプを促進させる可能性を検討した。被験者を自由意志、科学的決定論、社会的決定論を強化する条件に分け、潜在ステレオタイプ、顕在的ステレオタイプ、自己制御の指標を測定し、その後自由意志信念を測定した。自由意志操作1要因水準の分散分析の結果、全ての従属変数において有意な結果は見られなかったものの、全体の相関として顕在ステレオタイプと自己制御、顕在ステレオタイプと運命決定論得点が正の相関を持つなど、変数間の関係で一部仮説を支持した。また、自由意志信念因子の得点の高群と低群に被験者を分類し自由意志操作と絡めた2要因の分散分析の結果、自由意志操作と運命決定論高低との分散分析と、自由意志操作と不予期性高低の分散分析に交互作用効果の有意傾向が見られ、社会決定条件において運命決定論の高い人の方が低い人よりも潜在的ステレオタイプが高く、不予期性高群の方が低群よりも顕在ステレオタイプが高いという仮説を支持する結果となった。今後の実験では、日本人の自由意志信念の捉え方に基づいた自由意志操作や測定方法の検討、自己制御と自由意志の関係のさらなる探究、ステレオタイプについて老人ステレオタイプや人種ステレオタイプなども測定し自由意志とステレオタイプの関係の一般化を図ることなどが求められる。

 

高野朱香 偶発的援助行動に影響する要因の考察―日本人の援助行動に着目して―

 これまで、偶発的な援助行動については幅広い研究が行われてきた。その中で、偶発的な援助行動には個人特性は影響せず、状況要因が影響することがさまざまな研究者によって明らかにされている。Benson et al. (1980)によれば、偶発的な援助場面では、援助を行う可能性がある人は、知らないうちに、予期せぬ、一瞬の、そしておそらく有害な状況に出くわし、その慣れない状況で、全く知らない人に対して素早く決断を下さなければならないため、行動の手引きとして自分の内外の複雑な状況をあてにするのは合理的な事である。しかしながら、国、または文化で偶発的な援助行動を比較した研究はあまり行われていない。本論文では、「日本人は親切だ」という通説の検討を軸として、従来の偶発的な援助行動に影響する要因に関する研究について検討するとともに、新たな枠組みについて考察した。さらに、この新たな枠組みを検証するための研究を行った。

 

田中義裕 スマートフォン利用の社会的帰結

 本研究では、スマートフォン利用の社会的帰結について論じるため、スマートフォンによるコミュニケーションと社会的寛容性に注目し、5つのリサーチクエスチョンの検討を行った。第1に、スマートフォン利用者と従来の携帯電話の利用者では、コミュニケーションの様相に違いがあるかを検討した。その結果、スマートフォン利用者はコミュニケーション手段、コミュニケーション相手ともに多様性が増していた。また、コミュニケーションの総量もスマートフォンの利用者の方が多かった。第2にスマートフォンの利用で、従来の携帯メールとPCメールの役割は変わったかを検討した。その結果、PCメールは社会的寛容性に対して負の効果を持つという、先行研究と一致しない結果が得られた。また、スマートフォン利用者の方がPCメールの送信数が社会的寛容性もたらす負の効果を強めるという交互作用も確認された。第3に、コミュニケーションの相手が社会的寛容性に与える影響を検討した。その結果、スマートフォン利用は強い紐帯、弱い紐帯とのコミュニケーションをともに押し上げ、その上で弱い紐帯とのコミュニケーションは社会的寛容性を押し上げることがわかった。第4にコミュニケーション手段の影響を検討した。その結果、通話は社会的寛容性に負の効果をもつ傾向にあり、SNSのコメントが正の効果をもっていた。最後にSNS上の情報の異質性は、紐帯の維持と社会的寛容性にどのような影響を与えるかを検討した。その結果、SNSごとに異なる結果が得られ、Facebookにおいて異質な情報が社会的寛容性に正の効果をもち、排除行動が負の効果をもつことがわかった。これらの結果から、スマートフォンはICTによるコミュニケーションを大きく変化させたこと、人々は新しいコミュニケーション手段を社会的文脈によって使い分けていることが示唆された。また、SNSが弱い紐帯とのコミュニケーション手段として重要な役割を果たしており、社会的寛容性に影響を与える情報・対人接触の場となっていることが明らかになった。本研究は、スマートフォンやSNSによる新たなコミュニケーションの現状を明らかにし、ICTによるコミュニケーションと社会的寛容性との関係のモデルを精緻化したと言える。

 

平井俊輔 組織コミットメントの内在化要素を規定している要因の検討

 日本的経営が崩壊したといわれる昨今、従来のように年功序列や終身雇用というシステムによって無条件に従業員の組織への愛着や忠誠心を獲得できた時代は終わり、組織を管理する側は別の方法を以って従業員の組織への愛着や忠誠心を獲得しなければならなくなった。そのような時代において注目すべき概念のひとつが組織コミットメントである。
 組織コミットメントは従来、感情的要素、存属的要素、規範的要素の次元でとらえられることが一般的であったが、本研究では高木・石田・益田(1997)の研究をもとに、感情的要素を内在化要素と愛着要素の2つに分類して4つの次元で組織コミットメントをとらえた。またこれらの要素のうち、組織にとってプラスの行動をとるのに寄与しているのは内在化要素だけであることが高木(2003)の研究で明らかにされた。そこで本研究では「内在化要素を規定している先行要因はなんであるか」をリサーチクエスチョンとして研究を行った。
仮説構築段階ではハーズバーグの動機づけ衛生理論を参考にし、個人が仕事のどのような側面に満足しているかによって、影響を与える組織コミットメントの要素に違いが出るのではないかと想定した。この仮説を検証するため、東京都品川区在住の対象年齢20〜59歳の600名(男性322名、女性278名)を2段階確率比例抽出法によって選出し、質問紙を送付する輸送調査を行った。
 この回答をもとに分析した結果、内在化要素に影響を与えていたのは職務内容に関する満足感と上司との関係に関する満足感であり、愛着要素に影響を与えていたのは職場環境に関する満足感と給与に関する満足感と同僚に関する満足感であった。また、同僚との関係に関する満足感は上司との関係に関する満足感を媒介して間接的にではあるが内在化要素に影響を与えていた。これらの結果から、組織は個人が職務内容や上司、同僚などの人間関係に満足することを促すことで個人の内在化要素を高めることができると考えられる。
 この研究の意義としては、従来とは違い組織コミットメントを4次元でとらえその先行要因の一部を明らかにしたこと、組織コミットメントの研究に経営学の理論である動機づけ衛生理論を取り入れたこと、同じ人間関係でも上司や同僚など対象によって性質が異なってくることを明らかにしたことなどがあげられる。一方で、職務関与や組織同一化などの別の変数との兼ね合いや、上司と同僚との関係の差異を生んでいる根本的な原因などについては本研究では明らかにできなかったので、それらの探求が今後の課題となる。

 

横尾 健矢 「甘え」の仕草についての実証的研究

 本研究で注目したのは、甘えるときに行われる独特な仕草やふるまいについてである。人は甘えるとき、甘えのときにしか見られない「猫なで声」や「なれなれしい」などのうちくだけた仕草をすることがわかっている。しかし、甘えの仕草がどのように行われるのか、なぜ行われるのかというところがいまだ明らかになっていない。そこで、甘えに独特な仕草がなされる理由について検討すべく、2つの実験を行った。
 実験1では相手との関係性と甘える側の意図によって甘えの仕草が異なることを示すために、関西大学の学生を対象に条件文を操作した質問紙実験を行った。その結果、甘えの仕草の程度に影響を与える意図はお願いをする相手によらず同じであるにも関わらず、甘えの仕草の程度や種類が相手との関係性によって異なることがわかった。
 実験2では個人特性や考え方によっても甘えの仕草が異なることを示すために、関西大学の学生を対象に質問紙実験を行った。その結果、甘えたほうが得だと思っている人ほど甘えの仕草の程度が高いこと、そして親密な異性に対しては性別によって異なる個人特性や考え方が甘えの仕草の程度に影響を与えることがわかった。
 これらの結果より、甘えに独特な仕草がなされる理由は、相手の印象をポジティブにすることであるが、どのような仕草でもポジティブな印象を持たせることができるのではなく、関係性によって受け止められ方が異なるため、甘えの仕草の程度や種類を変えると考えられる。これは、相手にお願いをより受け入れてもらおうとするためではないかと考える。

 

岩谷舟真 日本における多元的無知の検討 〜対応バイアスと認知的不協和の観点から〜

 近年の心理学では、人の心は文化によって異なると考えられている。文化の維持に関しては複数のアプローチがあるが、増田・山岸(2010)は「一般に人間はこういった状況でこう行動するだろうといった人間一般についてのモデル(信念)」を用いて人々は行動を行い、その行動が他の人々の信念の内容に反映されるという形で文化が維持されていると述べる。このとき、文化と心は対応するとは限らない。
 そして、その結果としてVandello, Cohen, & Sean(2008)の研究のように多元的無知の形で文化が維持されうる。ただし、Prentice & Miller(1993)の研究では各々の選好が変化することによって多元的無知が解消される場合が調査の形で示されている。このように文化の維持を考える上で、多元的無知について理解を深めることは有益である。
 しかしながら、多元的無知の形で維持されている文化の中で信念に従った行動をとることで、選好や信念にどのような変化が見られるかについては実験的研究が行われていない。そこで、多元的無知が生じる要因と多元的無知が解消される要因について実験的に検討を行った。
 多元的無知が生じる要因については、対応バイアスの観点から検討を行った。対応バイアスとは、他者の行動を他者の属性に帰属させてしまう傾向のことである。そして、多元的無知が生じている成員について対応バイアスが生じている一方で、多元的無知が生じない成員は対応バイアスが生じていないという仮説を立てた。そして、Miller & Nelson (2002)を参考に、2 (対象: 自分・ペア)×2 (選択のフレーム: 好みのペアから選択するフレーム・好みでないペアから選択するフレーム)の2要因被験者内計画で実験を行った。分析の結果、多元的無知が生じた群においても生じなかった群においても対応バイアスが見られた。しかしながら、多元的無知が生じた群でのみ、ペアに対する価格について選択のフレームの有意な単純主効果が見られた。以上の点から、多元的無知が生じている群では対応バイアスが相対的に強く、多元的無知が生じない群では対応バイアスが相対的に弱いことが示唆された。
 多元的無知が解消される要因については、認知的不協和の観点から検討を行った。そして、多元的無知が生じている群においては選好と行動が一致せず認知的不協和が発生する一方で、多元的無知が生じない群においては認知的不協和が発生しないという仮説を立てた。その結果として、前者では自らの行動を正当化し、より適切なものであると解釈しなおすと仮説を立てた。そして、一般的な認知的不協和に関する実験(例えばImada, & Kitayama (2010))を参考に実験を組み立て、2 (多元的無知が存在しているか否か: 存在している・存在していない)×2 (正当化の方法:自分の価格についての正当化・ペアの価格についての正当化)の分散分析を行った。前者は被験者間要因
であり、後者は被験者内要因である。その結果、多元的無知が存在しているか否かの主効果は見られなかった。一方で、多元的無知が生じている群において、自分が選択したグミの価格をより上昇させていることが分かった。以上より、多元的無知が生じた場合、多元的無知によって共有された行動についての選好が上昇することが分かった。
 本研究は実験的に行われた研究であり、外的妥当性については一定の限界がある。今後は、人間一般についてのモデルを構築する前後で選好や信念にどのような変化が見られるかについて調査研究を行っていく必要があるだろう。

 

大島優迪 青年期以降の運動参加動機と心理的欲求について

本研究の目的は、スポーツがもたらす肯定的側面に端を発し、年齢、性別、身分等の区別なく誰もが気軽に参加し、楽しめる生涯スポーツの実現のために、スポーツライフスタイルの形成期として重要視される青年期と、それ以降の年代の運動参加者を対象とし、自己決定理論(Ryan & Deci, 2000)に基づく運動に対する動機づけ、心理的欲求、運動強度、競技種目が互いに及ぼす影響について検討することであった。研究の方法は、男性88名、女性16名の計104名を対象とした質問紙調査であった。質問項目は、現在実施している運動1つ、その運動の運動強度、運動における動機づけ、運動における心理的欲求、フェイス項目であった。運動における動機づけは、藤田ら(2009)を参考に、「運動する理由が分からない」という非動機づけ、「周りの人と同じことをしなければいけないことを理由に運動する」という外的調整、「他者の低評価を避けることを理由に運動する」という取り入れ的調整、「健康の維持増進を理由に運動する」という同一視的調整、「運動することで得られる知識や能力を理由に運動する」という統合的調整、「運動すること自体の楽しさを理由に運動する」という内発的動機づけの6つを想定し、因子分析の結果、6因子構造となった。運動における心理的欲求は、廣森(2003)を参考に、運動において「自分が自己決定的でありたい」という自律性の欲求、「自分が有能でありたい」という有能性の欲求、「他者との人間関係が友好的でありたい」という関係性の欲求を想定したが、因子分析の結果、関係性の欲求と「自己効力欲求」の2因子構造と判断した。次に6つの動機づけを運動強度、関係性の欲求、自己効力欲求、年齢、性別によって予測するモデルを立て、重回帰分析を実施した。その結果、運動習慣を定着させるのに望ましいとされる内発的動機づけを喚起するには、運動参加者に対して運動における成功体験や肯定的評価、または自由な競技種目選択権を与えて、運動を通じて自分の力があることを示したいという自己効力欲求を満たすこと、そして運動参加者が、仲の良い仲間と運動参加することなどを通じて関係性の欲求を満たすことが重要であることが示唆された。また、競技種目の違いによって喚起される動機づけや心理的欲求に差が見られるかを分散分析によって検討したところ、サッカーやバスケットボールのような「チームスポーツ」は、テニス、卓球、水泳のような「基本個人スポーツ」、ランニングや筋力トレーニング、ヨガのような「健康スポーツ」に比べて、関係性の欲求が有意に喚起されることが分かった。
  本研究で、青年期以降の年代における運動全般の運動参加場面の動機づけの実証的な研究を実施できたことは意義深く、本研究の結果が実践へと応用されることが期待される。本研究で、各動機づけや運動強度、競技種目がどのように喚起されるかを示唆したことも合わせて、青年期においてのスポーツライフスタイルの定着が、豊かな生涯スポーツ社会の形成につながることが望まれる。

 

岡田真波 制御焦点の活性化が存在脅威管理に及ぼす効果の検討

 人間には死の不可避性・予測不可能性の認知からくる, 存在論的脅威というものが存在する。この恐怖を緩衝する心的メカニズムを説明する議論として, 近年, 存在脅威管理論が着目されつつある。存在脅威管理理論においては, 死の顕現性が高まると 人は文化的世界観を防衛し, それに適合しているという自尊感情を高揚させることによって, 存在論的脅威を緩衝しようとするとされている (Solomon et al., 1991)。本研究では, 接近目標の達成方略である制御焦点を操作し, 死が顕現化した後の成功恐怖反応および顕在的自尊心に対する影響を検討することを目的とした。存在脅威管理理論における死の顕現化後の諸反応を自尊心向上という目標を伴う自己制御と捉え, 自己制御調節変数としての制御焦点が与える影響を検討した。また, 死の顕現化後の日本人の自己卑下的反応を, 利得獲得を目標とす・髑」進焦点ではなく, 損失回避を目標とする予防焦点をとりやすいという制御焦点の文化差によるものであると仮定し, 制御焦点の文化間差を実験的に同一文化内で操作し, 成功恐怖反応に対する影響を検討した。本研究は質問紙による集団実験で行われ, 78名を参加者とし, 死の顕現性を高めるMS操作をおこなうMS条件と行わない統制条件, 制御焦点の促進焦点活性化条件と予防焦点活性化条件という2要因を組み合わせ, 促進・MS条件, 促進・統制条件, 予防・MS条件, 予防・統制条件の4条件に無作為に配分した。まず制御焦点を活性化させたのち死の顕現性操作を行い, 遅延課題後顕在的自尊心と成功恐怖反応を尺度によって測定した。分散分析の結果, 制御焦点の差異によって, MS処理後の成功恐怖反応が異なるということが示された。よって, 死の顕現化後の日本人の自己卑下的反応は, 他者から嫉妬される損失を回避する予防焦点という文化的世界観に従った防衛反応である可能性が示唆された。しかし自尊心に関しては制御焦点と死の顕現化の交互作用は見られなかった。MS条件の方でより自尊心が向上し自尊心の希求反応が見られたものの, 損失回避行動の継続のために成功期待を控えるはずである予防焦点の方がより高い自尊心を示した。これはHiggins (2008)などで見られた先行研究とは異なる結果であり, 存在脅威管理論の自己制御的メカニズムについては検討することができなかった。意図的にコントロールが可能である顕在的自尊心を尺度として用いたことによる自己欺瞞が発生したことが否定できないため, 今後は, 潜在的自尊心を用いた再検討が必要である。また今回得られた知見はは日本人参加者における制御焦点のMS処理後の反応に及ぼす影響を同一文化内での操作によって検討したものであるが, この文化内差での知見を文化間差に拡大し, 存在脅威管理における心的過程に対する理解を深めるためにも, 今後の欧米などの他文化での比較研究が期待される。

 

香川 絢奈 企業犯罪・企業不正の防止における組織文化の重要性についての研究

 1990年代のバブル崩壊以降、企業や官公庁による不正や不詳事があいついで発覚し、深刻な社会不信を招いている(蘭・河野, 2007)。特に企業による不正・犯罪が社会に与える影響は深刻である。企業が守るべき指針となる法律・命令・規則などがいくら制定がされ、法律を社内ルールに転換するための社内制度が整備され、またそれを守らせるべく顧問弁護士が存在していても、企業による違法行為は後を絶たない。そこで、企業の不正防止のために、組織体の本質である組織文化を用いることができないか、検討した。
 組織文化が企業の違法行為に影響しているのではないか、という見方は、企業法務の実務家から近年ちらほら聞かれ始めているところであるが、従来の組織文化の研究において企業の違法行為の防止という観点から組織文化について扱った研究はほとんど見られない。その点、学術的に組織文化と企業の違法行為との関連を調べたという点で本研究の独自性がある。
 本研究・ナは、まず第一に、コンプライアンスについて概観した。コンプライアンスとは、@企業が法令等の遵守を不可欠の理念と位置づけ、A企業活動に関連する法令等の存在・解釈を把握し、企業活動の実態を踏まえ、適切なリスク分析を行い、B組織やルールを整備し、Cすべての役職員がルールの遵守に努めつつ、D他方、その遵守状況をチェックするシステムを構築し、E遵守できていないケースを認識した場合は、これを企業自身が適切に解決できる、F「内部統制システム」を構築することによる、G競争優位性を強化し、企業価値を高めるための全社的かつ重要な経営課題と位置づけること、と定義される。そして、ここでは企業が法令を遵守することができるような体質を有しているか否かをチェックし、そのような体質が整っていないと分かった場合には望ましい体質に変革するというところまで含んだ動的なプロセスであることを指摘した。
 第二に、組織文化についても概観し、その上で、コンプライアンスの徹底のためにいかなる組織文化が有効であるかについて考えた。組織文化とは、所与の集団が外部的適応と内部的統合の諸問題を処理することを学習するにつれて、その集団によって生み出され、発見され、展開せられた基本的前提認識の1つのパターンである。組織文化は、企業に、問題に対する迅速な対応を可能にし、組織を安定化させるという機能を持つ一方で、組織の対応を硬直化させ、周囲の社会状況に対する柔軟性を失わせるという逆機能をもつ。そこで、コンプライアンスの徹底のためには、法律違反を許さない、という前提認識を持った組織文化を育成することに加えて、周囲の環境変化に対応できる柔軟性を持った組織文化を育成することが必要なのではないかと指摘した。
 そして第三に、そのようなコンプライアンスの徹底にとって望ましい組織文化に変革するための方法について検討した。まず、望ましい組織文化に変革するために、その前提として自社の現在の組織文化を測定することができるか否かについて検討した。その結果、組織文化の測定は、@企業不正・犯罪の防止の基礎となるような組織文化の側面に限定して測定し、A個々人に対する質問紙調査ではなく、集団に対するアプローチよって測定することで可能だということが分かった。
 そして、組織文化の変革の具体的な方法については、企業の経営者がどのような方針を採るべきか、というトップマネジメントの観点から検討した。その結果、経営者は、@リーダーが定例的に関心を寄せ、測定し、コントロールしていること、A重要な出来事、組織の危機にいかにリーダーが反応するか、Bリーダーがどのようにリソースを配分しているか、C意識的なロールモデリング、ティーチング、コーチング、Dリーダーがどのように褒賞と地位を配分しているか、Eリーダーが人材をいかに採用し、先行し、昇進させ、退職させているか、という6つの第一義的メカニズム及び、@組織のデザインと構造、A組織のシステムとプロシージャ―、B組織の伝統と慣習、C物理的なスペース、様式、建物のデザイン、D重要な出来事や人物に関するストーリー、E組織の哲学、信条、憲章などの公式的な記述の6つの第二義的なメカニズムの12のメカニズムを用いて、コンプライアンスの徹底のために望ましい組織文化を形成することが必要であることが分かった。その過程で、これまでの経営倫理学において論じられてきたアプローチは、そのうちの1つの方法にしか焦点を当てていなかったために、コンプライアンスの徹底のために十分な対策を講じることができていなかったのではないか、ということも指摘した。さらに、経営者は、柔軟な組織文化を育成するため、変革指導型の経営者であるべきということも分かった。

 

川尻 知弥 若者の社会的アイデンティティと方言使用の関連、

コードスイッチング意識に関する研究

―東京圏在住の地方出身者を対象として―

 Tajfel(1982)によると、人はポジティブな社会的アイデンティティを獲得するために内集団の成員に有利な分野において外集団との差異を強調することがあるが、その際集団に特有のことばを用いて内集団と外集団の差異を強調することがある(Hogg & Abrams、1988)。Giles, Coupland & Coupland(1991)が提唱した話体応化理論では、相手からの社会的承認を得るために相手の話し方に近付く「収束」、社会的アイデンティティを確立するために相手の話し方から遠ざかる「分離」が見られる。つまり、自集団の言語に切り替えることで自集団の方言や言語の評価を高めて示し、ポジティブなアイデンティティを得ようとするのである(岡本、2006)。逆に言えば、方言や言語について、自集団に対してポジティブな評価、アイデンティティを得られる見込みがない場合は方言を使わないと予想される。
方言と共通語の使い分けについて、「改まった場面では共通語」、「くつろいだ場面では方言」といったように、場面によって方言を使い分けることをコードスイッチングという(岡本、2006)。陣内(1999)では方言話者の相手(「同郷の知人」と「共通語を話す見知らぬ人」)と場面(「地元の道端」と「東京の電車の中」)による方言と共通語の使い分けが全国一様に見られたが、相手の親近性要因(「知人」か「見知らぬ人」か)と話す言葉の種類要因(同じ方言か「共通語」か、「同郷」の知人に関しては同じ方言を話すことが期待される)が交絡している可能性がある。また、場面についても、場所要因(「地元」か「東京」か)と閉鎖性要因(「道端」か「電車の中」・ゥ)の交絡も考えられる。
 本研究では、内集団(自集団)を回答者自身の出身地、外集団を東京圏の他の住民と定義し、東京圏在住の地方出身者49名を対象にアンケートを配布した。その上で、「出身地に対する認識がポジティブであるほど出身地の方言を使用するだろう」、「東京圏の他の住民の、自分の出身地に対する評価の予測がポジティブであるほど出身地の方言を使用するだろう」という仮説を立てた。この仮説を検証するために、出身地に対する回答者自身の愛着変数とアイデンティティ変数を主成分分析により総合化した「出身地に対する認識」、現在の居住地に対する回答者自身の愛着変数とアイデンティティ変数を主成分分析により総合化した「現在の居住地に対する認識」、「回答者の現在の居住地の住民の、回答者自身の出身地に対する評価の予測」、「回答者の現在の居住地の住民の、回答者自身の現在の居住地に対する評価の予測」、「性別」、「出身道府県における居住期間」、「現在居住している都県における居住期間」により場所、相手の出身地、相手との関係性を操作して得られた8場面における方言使用度を予測するモデルを立て、重回帰分析を行った。その結果、相手が東京出身で、なおかつ自分よりも年上であるときまたは場所が東京の道端であるときを除いて、「出身地に対する認識」が方言使用に有意な正の効果を及ぼすことが分かった。この結果より、相手の出身地要因の他に、場所、相手との関係性要因のいずれかもしくは両方が合わさることで、出身地に対するポジティブな認識が方言使用に及ぼす正の効果が消えてしまうことが示唆された。
 「回答者の現在の居住地の住民の、回答者自身の出身地に対する評価予測がポジティブであるほど地方出身者は方言を使用するだろう」と予測した仮説2では、「地元の道端で、東京出身の友人と話すとき」には「出身地に対する意識」が有意な正の効果を及ぼしている一方で、「出身地に対する評価の予測」の効果は有意ではなかった。本研究では、この効果の検討において場所要因が大きな意味を持つと予測した。分離の最も重要な動機付けは社会的アイデンティティを確立することである(Giles et al., 1991)。自分にとって慣れない場所では個人の社会的アイデンティティが不安定になるため、そのときに相手の評価、もしくは評価の予測をもとに社会的アイデンティティを再構築する可能性が考えられる。
 次に、「東京の道端よりも地元の道端において、地方出身者は出身地の方言を使用するだろう」、「相手の出身地が東京である場合よりも同じである場合において、地方出身者は出身地の方言を使用するだろう」、「相手が先輩または上司である場合よりも友人である場合において、地方出身者は出身地の方言を使用するだろう」という3つの仮説を立て、方言使用度を目的変数として「場所」、「相手の出身地」、「相手との関係性」の3要因について3要因2水準の分散分析を行った。その結果、「場所」、「相手の出身地」、「相手との関係性」の主効果がすべて有意となった。2次の交互作用が有意であったため単純交互作用、単純・単純主効果の検定を行った結果、3つの仮説は全面的に支持された。これより、他人と会話を行うときには、相手認知(「誰と」話しているか)だけでなく場所認知(「どこで」話しているか)も話体に影響しうることが分かった。

 

小神拓也 組織コミットメントや組織風土認知が内部申告に与える影響について

 組織において不正行為を目撃したとき、それを誰かに申告するか否かには大きな心理的葛藤を伴う。不正を正すことは正義ではあるが、一方でそれは組織の評判を悪くし、組織の仲間を裏切ることにもつながる行為である。では、そのような葛藤を乗り越え内部申告を行うのはどのような人物なのか。
 本研究では内部申告を規定する要因として組織コミットメントと組織風土に着目して、両者が内部申告に与える影響について検討を行った。組織コミットメントとは成員の組織に対する帰属意識を表すものである。中でも愛着コミットメントは組織に対する感情的な結びつきにより構成される。組織コミットメントと内部申告との関係には、帰属意識が高いからこそ組織不正を知っても見て見ぬふりをしようとする「会社人間説」、逆に帰属意識が高いゆえに組織不正を結果的に組織の不利益につながると考えて申告する「改革者説」の2つの説があり、研究により結果は安定していない。
 一方組織風土としては、意志決定などの際に人に偏った判断基準を置く属人風土、権力が不平等に分布されている状況を受け入れる程度を示す権力格差を取り上げた。この組織コミットメント及び組織風土を同時に検討することにより、内部申告の心理的メカニズムをより整理し、具体的に説明することが可能となると考えた。
 大学生のサークル等所属者を対象として調査を行った結果、愛着コミットメントと属人風土を扱った研究では交互作用効果がみられなかったが、愛着コミットメント及び権力格差的風土を取り上げた研究において愛着コミットメントの負の主効果、および両者の交互作用効果がみられた。愛着コミットメントが高いほど申告をしにくくなる、というのは先の「会社人間説」に一致する結果であった。交互作用効果については愛着コミットメントが低い場合、権力格差の大きい組織風土でより内部申告をとりやすく、愛着コミットメントが高い場合、権力格差の小さい風土でより申告をとりやすいという結果が得られた。前者に関しては、組織への愛着が低く、また格差の大きい風土のため、不正を目撃・キるといわば腹いせ、逆恨み的な申告を行うという可能性が考えられる。後者に関しては愛着があるからこそ、権力格差の大きい組織では不正を目にしても自分より地位の高い人間を裏切れないと感じてしまい申告を躊躇うが、逆にそのような格差の少ない風土では申告が起こりやすいと考えられる。以上より、組織において不正を目撃した際、健全な申告行動を行うのは組織に対する愛着が高く、自らの組織が権力格差の小さい風土であると認知している人物であるということが示唆された。
 今後の課題としては、組織コミットメントとさらにその他の組織風土との交互作用を検討すること、不正の申告先ごとに分類をして検討すること、また対象を社会人として検討を行うことなどが考えられる。

 

小林百合 対処的悲観主義者の不適応的側面への検討

 楽観性と悲観性の比較研究はこれまで数多く行われてきたが、従来の研究では楽観性・楽観主義が適応的で受容されるべきものとして推奨される一方で、悲観性・悲観主義は不適応的でなるべく避けた方がよいものとして扱われてきた。しかしこの主張を覆す新たな枠組みとして、Noremら (1986a) は防衛的悲観主義理論を提唱した。防衛的悲観主義理論では、過去のパフォーマンスに対する認知に加えて、将来のパフォーマンスに対してポジティブな結果を予測するかネガティブな結果を予測するかによって、方略的楽観主義、対処的悲観主義、非現実的楽観主義、一般的悲観主義の4つの認知的方略に分類される。このうち方略的楽観主義者と対処的悲観主義者は、課題遂行面において高いパフォーマンスを発揮し、適応的であることが数多くの研究で示されている。しかし精神的健康面においては、対処的悲観主義者は方略的楽観主義者に比べ、不適応的とされることが多い。これに対してNorem (2001) は、心身の健康面において適応的とされる対処的悲観主義者の存在を見出し、そのような対処的悲観主義者は共通して、自身の認知的方略が機能的であることを認識し、受容しているということを示した。これを受けて、対処的悲観主義者の認知的方略の受容に関する研究が行われてきたが、多くの対処的悲観主義者は自身の認知的方略に対して受容していないか、消極的な受容しかしていない傾向にあることが明らかにされている。対処的悲観主義者に自己の認知的方略の受容を促し、精神的健康を高めるためには、まず受容している人とそうでない人の違いを明確にすべきだろう。そこで本論文では、対処的悲観主義者が意識的・積極的に対処的悲観性を用いるのかということに焦点をあて、自己の認知的方略に対する統制感、承認欲求の個人内バランスの観点から、対処的悲観主義者の細分化に関して考察した。

 

酒井真帆 逸脱者が持つ集団の代表性と集団への影響力の高低が、集団成員による逸脱者の評価へ与える影響

 集団の規範を逸脱すると集団内成員から社会的排斥を受けることは多くの先行研究より示されている。本研究では社会的排斥を、「個人・集団が個人・集団によって無視されたり、排除されたりする」とした定義を用いた。本研究では社会的排斥の規定因を特定しその解決策を探ることを目的に、先行研究より社会的排斥の規定因を逸脱者の集団内における地位と逸脱が集団に与える影響の度合いだと仮定し、逸脱者が集団の代表であるか否かは関係なく、逸脱が集団に与える負の影響がある場合逸脱者が排斥を受けやすく、影響がない場合、逸脱者が排斥を受けにくいという仮説を立てた。本研究の意義は、社会的排斥の規定因を特定しようと試みた点、排斥側の心理的プロセスに着目した点、実生活において実現可能な排斥の抑制方法を検討した点にある。
 逸脱者の地位(集団の代表であるか否か)と逸脱が集団に与える影響の有・ウをシナリオによって操作し逸脱者への排斥行動と感情を測定する2要因2水準の質問紙実験を行った。行動には先行研究を参考にいじめ行動、説得行動、友好行動の3種を用意しいじめ行動を排斥行動と仮定した。感情には妬み、憐み、憧れの3種を用意し排斥感情を妬みと仮定した。集団内の地位と逸脱による影響の有無の2要因被験者間分散分析を行った結果、影響があった場合よりもない場合の方が逸脱者に憐みを感じる傾向が出て、影響があった場合の方が逸脱者に憐れみを感じないことから仮説は一部支持された。しかしその他の排斥行動や感情に有意差は見られず、先行研究とは逆に逸脱者が集団の代表である方が慕われるという結果が出た。
 そこで社会的自己制御が排斥行動・感情の選択を抑制しているのではと仮定し、被験者を社会的自己制御の中央値から高群、低群に分け、要因に社会的自己制御の高低を加えた3要因の被験者間分散分析を行った。社会的自己制御とは対人関係において各人がすべき役割を正しく判断し、行動に移すことができる能力だと本研究では定義する。分析の結果、社会的自己制御低群条件は高群条件よりも排斥行動や感情を選択しやすいこと、社会的自己制御の高低で排斥行動・感情が選択される条件が異なることが示された。具体的には社会的自己制御が低い場合、排斥が起こる条件が仮説を支持する条件となり、社会的自己制御が高い場合その条件が逆になった。この違いの原因を考察したところ、「ないものねだり」の精神と「集団成員」として、「個人」としての2種類の判断軸、社会的場面での自身の行動を判断できるかどうかの自信が関係するのではという考えに至った。また、集団の代表であるかどうかは、それ自体が直接の排斥の規定因にはならず、社会的自己制御の度合いによって排斥されやすさが異なると考察した。先行研究とは異なり、たとえ逸脱したとしても根本的には集団の代表は慕われ、好意的な行動・感情を選択されることが示唆されたことは意義のある結果であると言える。
 以上の結果・考察を踏まえると、仮説のように、逸脱が集団に負の影響を与えるか否かが判断前提にあることが考えられたため、逸脱者の排斥の決定には、仮説を支持する逸脱による集団への負の影響の有無、社会的自己制御の高低、集団成員と個人として2種類の判断軸が存在する故の二面性が関わるとし、それに伴う排斥の抑制方法を実現可能性という観点から議論し、解決案を提案した。
 本研究のさらなる発展として、シナリオを多様化し汎用性を増すこと、操作方法を工夫し実験操作の理解度を深めること等が考えられる。

 

佐藤優衣 死の顕現性が女性ステレオタイプに与える影響

 死の顕現化により女性ステレオタイプが活性化することが先行研究によって示されており、その女性ステレオタイプが両面価値的性差別理論の観点を踏まえるとどのような結果をもたらすのかが本研究の目的であった。両面価値的性差別理論では、女性に対する性差別をあたたかさ次元と能力次元の両面で捉えた場合に「有能だがつめたい」という敵意的なステレオタイプと「あたたかいが無能・vという慈悲的なステレオタイプで説明できるとした。これを受けて本研究では被験者を男性に限定し、自己の文化的世界観を維持しようとする死の顕現化操作を行ったところ、両面価値的性差別理論を支持する結果は敵意的・慈悲的ステレオタイプの双方から得られなかった。しかしながら、MS処理や女性がキャリア志向もしくは家庭志向であることによって、女性にいだく感情や印象が左右されることがわかった。女性の志向の情報を得ることで軽蔑・尊敬の感情を抱いて評定をしてしまったり、また、そもそも両面価値的なステレオタイプを定義する「有能だが冷たい」という印象評定や「無能だがあたたかい」という印象評定も検出された。また副次的にMS処理を受けることで、キャリア女性の有能さをより高く感じたという結果も得られ、これにより「一生懸命働く女性は優秀だ」というある種の決めつけとも言える価値観が共有されていることを示すことができた。今後、被験者を男性にしぼらずに同様の実験を行うなどの工夫が考えられ、女性の偏見に関しる研究として試金石と言える実験結果が得られた。

 

神野祥子 内集団卑下を含む発言が第三者の反応に与える影響

自分の所属する集団である“内集団”について、集団に所属しない他者に語る場合、どのように語ることが多いだろうか。
 先行研究では、日本人は自分自身については自己卑下的に語ることが多いが、内集団については自己高揚的、内集団高揚的に語ることが多いことが示されている。ただし、心理的一体感の強い家族的集団については、内集団卑下的に語るという結果が出ている。
 また、経営行動科学の概念に、組織市民行動というものがある。組織市民行動とは、組織の一員が、直接仕事とは言えないが、組織のためになる行動をすることである。本研究では、内集団について他者に語ることを「組織市民行動」として捉えられる可能性があるのではないかと仮定した。
 本研究では3つのシナリオを用意し、それぞれにおいてシナリオ内発言の中で内集団を卑下する度合いを3段階に操作し、その度合いが第三者である被験者の集団や発言者に対する評価に影響するのかを検証した。
 内集団卑下の度合いが高いほど凝集性が高いと評価されるという仮説を立てたが、内集団卑下の度合いが低いほど凝集性が高いと評価されることが分かった。また、組織市民行動の動機を捉えたモデルから、内集団卑下の度合いが低いほど、その集団は他者からの評価を重視しているとみなされるという仮説は支持された。また、内集団卑下の度合いが低いほど自尊心が高いと評価されることが分かった。
 内集団卑下の度合いが第三者への集団への評価へ影響する可能性が示唆され、内集団卑下の今後の研究へつながる結果となった。

 

鈴木悠祐 BtoB企業における広告戦略の考察―コーポレート・ブランドに着目して―

 企業には大きく分けてBtoC企業とBtoB企業がある。これまでBtoB企業ではその性質上、広告活動があまり必要でないと考えられ、研究もそれほどされてこなかった。しかし近年の広告論では短期的な販売促進を目的に行われる広告とは異なる、長期的な信頼関係の構築を目的としたコミュニケーションとしての広告が注目を浴びている。同時に、信頼関係の構築を目指して行われるブランディングにおいても、従来のプロダクト・ブランドとは異なる、コーポレート・ブランドという考え方が登場した。この「コミュニケーションとしての広告」と「コーポレート・ブランド」の理論はBtoC企業を中心に行われているが、BtoB企業でより活かせるのではないかと私は考えた。従って本論文では、BtoB企業における広告の有効性および方向性を示し、今後の広告研究の展望を示した。

 

濱垣翼 広告で用いられるネガティブアプローチの多面的検討

 様々な広告手法があふれている今の世の中で、「広告は商品の利点を訴えてくる」という従来の考えを覆した、ネガティブアプローチといわれる手法に注目をした。商品の欠点をあえて主張することで広告表現にインパクトを持たせるこの手法を用いたCMは、確かに自分の中で印象が強く残るものであり、単に普通とは違う表現をすることでインパクトを出しているだけの手法であるとは考えられなかった。
 そこで、ネガティブアプローチが持つユニークさについて考察をしようと考えた。しかし、直接的にこれを題材にした研究はあまり見当たらない。そのため、・T索的に社会心理学的に考察をすることで、その本質に迫った。
 構成としてはじめに広告の定義や種類、そして広告に関する概念について整理をした。次に、実際にネガティブアプローチを用いた広告をいくつか見た。その結果、それらが持つユニークさの源泉は、商品の欠点を「自己開示」する事でやや「謙虚」な表現をしている点にあると考えた。「謙虚」であるとした理由は、それらの広告の裏には確かな自信が感じられ、単なる自己否定には感じられなかったため。
 そこで、自己開示と謙遜について先行研究を概観した結果、自虐的な自己呈示が正しく受け手に謙虚な表現と受け止められるには、受け手と呈示する側が共通する文化基盤を持たなければならない事がわかり、ネガティブアプローチは謙遜が非常に大きな意味を持つ日本だからこそ有効なアプローチとなっている可能性が示唆された。

 

藤原 瞭平 取調べは真実を引き出すことができるのか

―冤罪を引き起こさないための取調べの手法の検討―

 近年、警察・検察等の取調べの在り方に疑問が投げかけられている。それは、被疑者が虚偽の自白をして冤罪に陥れられる危険性の高さにある。再審で無罪判決を受けた者以外にも、起訴後裁判で無罪が判明した者、一度誤認逮捕されたのちに釈放された者も含めれば、冤罪の被害者は3桁に及ぶことになろう。勿論、冤罪の原因は、虚偽の自白以外にも、ずさんな捜査による起訴など様々ある。しかし、取調べの問題点、特に虚偽自白を生みやすい環境である点は、その原因の中でもよく取り上げられる。そこで、本論では、初めに虚偽自白が原因で発生した冤罪事件の事例を取り上げ、それに続いて、虚偽自白が生じる原因の心理学的・刑事訴訟法的側面からの検討をなした。
 このうち、心理学的側面については、虚偽自白論の諸説やこれに関連する事例研究や実験研究を中心に解説した。刑事訴訟法的側面は、取調べに関する規制の時系列に沿った説明、及び、自白が偏重されてきた経緯とそれを抑止する規制を中心に解説した。これらに加え、これまで取り組まれてきた又は提唱されている取調べの工夫の検討を行った。
 そして、これらの議論を前提として、今後の取調べの在り方について以下の施策について提言をなした。すなわち、@取調官の取調べ技術の向上、Aミランダ・ルールの徹底、B代用監獄の廃止等の身体拘束状況の改善、C取調べの完全可視化、D取調べにおける弁護人の立会い、E弁護人の活動の充実化、の6つの施策である。
 さらに、捜査機関だけでなく、虚偽自白を見抜く側である裁判所にも一定の努力ないしが必要となる。すなわち、@有罪と思い込まずに詳細かつ丹念に供述調書を検討すること、A法学だけでなく心理学や自然科学といった幅広い分野につき見識を持ち、検察官から提出された科学データやと供述調書を無批判に受け入れないようにすること、B元社会人をはじめ様々な分野の経験を積んできた法曹を判事に登用したり、弁護士からの任官をより積極的に行ったりすること、である。
 このように、虚偽自白の防止には、法曹界全体や立法府も含めた広い範囲の人々の活躍が必要である。これまで取調べは、自白を採るための手段として、真実を明らかにする役割が重視されすぎていたために、人権侵害が生じていたどころか、事案の真相からも遠のいていたと言える。このような反省の下に、刑事訴訟手続の二大目的として刑事訴訟法1条に挙げられている真実発見と人権保障を調和させた取調べの制度構築がなされるべきである。そして、謙虚でありながら建設的な議論と、刑事司法にこれから携わっていく人々の弛まぬ努力の先に、真実を引き出すことのできる理想の取調べの外郭が見えてくるものと期待している。

 

二木望 実体性が両面価値的な集団への態度に及ぼす影響について

 本研究では、温かさと能力という対人認知における基本次元において、片方はポジティブに、もう片方はネガティブに評価される両面価値的な集団に対して実体性知覚がもたらす影響について検討した。両面価値的な集団においては、温かさ・能力についてのステレオタイプが、感情的偏見を通じて「助成」または「危害」という相反する行動をもたらすことが知られているが、本研究ではこの効果を実体性が調整するという仮説を検証した。具体的には、質問紙実験を実施し、「温かいが有能でない」もしくは「有能だが冷たい」というステレオタイプが抱かれている集団における実体性の程度を操作した。さらに、対象集団における温かさ次元と能力次元のどちらがより顕著であるかを操作した。その結果、高い実体性が知覚される「温かいが有能でない」集団において、ステレオタイプ認知が感情的偏見を媒介して行動をもたらす、というプロセスが生じた一方で、実体性が低い場合にはステレオタイプと行動との間の関連がみられなかった。一方、「有能だが冷たい」集団においては実体性の高低にかかわらずステレオタイプ、感情的偏見、行動の間に関連がみられなかったが、これは外集団との対立状況の有無によるものであると考えられる。以上より、外集団に対してステレオタイプに基づいた行動が生じるためには、その集団の実体性知覚が重要な役割を果たすことが示された。

 

ホ エスター シン ユー 感情心理学における「感動」の研究概要とその考察

 本論文の目的は、感情心理学における「感動」に関する概念の研究を検討し、今後の「感動」研究においてどのような展開が期待できるかを考察することである。まず、感情の3次元説および情動、気分と情操の分類によって感情を定義し、進化論説やジェームズ・ランゲ説、キャノン・バード説、情動二要因理論、認知的評価理論などの感情起源説を整理した。ところで、感動は従来の感情の定義と起源説によって説明できない部分が多い。近年日本では「感動」を一つの概念として捉えようとする研究が行われるようになってきたが、なかでも戸梶(2001)が提案している感動の喚起メカニズムは多くの研究の基礎となっていると考えられる。戸梶(2001)によると、感動は「喜びを随伴した感動」、「悲しみを随伴した感動」、「驚きを随伴した感動」と「尊敬を随伴した感動」という4つの類型に分類できる。このように感動は複雑な感情を含むものであり、総合的に測定と研究することは難しいため、場面別で検討している研究が主である。
 そのなか、感動を測定できる尺度の開発に関しては、大出・今井・安藤・谷口(2007)が音楽聴取における感動を表した150語を分類して作成した感動評価尺度や、加藤・村田(2011)による映像視聴における感動を測定する6項目から感動測定尺度などの試みが挙げられる。一方、音楽の場面に関しては、大出・今井・安藤・谷口(2009)は通常の「感動した」という評価は感動評価尺度の量的大きさによって予測できることや、感動には種類と個人差があることを・蜥」している。また、音楽を聴取する際に経験する感動は音楽的期待からの逸脱によって喚起されるという説もある(Meyer, 1956;榊原, 1993)。スポーツの場面に関しては、押見・原田(2010)はスポーツの試合観戦における感動は観戦客の満足と再観戦意図へ影響を与えることを示している。なお、個人の心理的変化の場合では、感動の体験は、動機付けの向上、認知的枠組みの更新と他者志向・対人受容の促進という3つの効果をもたらすことも示されている(戸梶,2004)。
 現在の感動研究は様々な場面に特化しているが、研究手法が統一されていないことは問題である。また、実際にそれぞれの分野での研究者が少ないため、以上の研究結果は妥当性や信頼性を欠けていると考えられる。したがって、先行研究の妥当性や信頼性を検証し、さらに異なる場面の感動を総合的に捉えることができる「感動」の概念を築いていくことが、今後の感動心理学における重要な課題である。

 

松本龍児 自己と他者に関する自由意志信念が攻撃行動に与える影響

 近年、社会心理学の領域では「自由意志が存在すると思うかどうか」という自由意志信念が社会的判断や行動に与える影響が実証的に検討されている。例えば、自由意志信念が否定された参加者はその他の参加者よりも強い攻撃行動を示すことが知られている(Baumeister et al., 2009)。大渕 (2000) によれば、攻撃行動には「衝動的攻撃」と「戦略的攻撃」との2つのタイプがあるが、Baumeister et al. (2009) が扱った攻撃行動は、衝動的攻撃であったと考えられる。では、戦略的攻撃に自由意志信念はどのような影響を与えうるだろうか。自由意志信念の肯定は他者の意図性を強め、結果として戦略的攻撃が促進される可能性が考えられる。本研究では、「自由意志信念の肯定が戦略的攻撃を促進する」という仮説を検証するために、参加者が架空の対戦相手とノイズ音を与え合う課題を用いて戦略的攻撃を測定した。実験の結果、自由意志条件において、攻撃特性と攻撃行動との間に有意な相関が見られた。また、攻撃特性の高い人では、自由意志条件で統制条件よりも強い攻撃を示すことが分かった。このことから、自由意志信念の肯定が他者の意図性を高く認知させ、戦略的攻撃を促進する可能性が示された。本研究によって、自己についての自由意志信念と他者についての自由意志信念がそれぞれ異なるプロセスで攻撃行動に影響を与えていることが示唆された。