私たちの社会的認知過程は、一般的には環境の理解・予測・統制を目指してなされると論じられています。私たちは素朴な科学者(Naïve scientist)として、社会的環境を理解しようとしている、ということです。
 しかし、それだけではなく、私たちはまた、道徳的エージェント(Moral agent)でもあります。自らを、また他者を道徳的に評価するとともに、社会の中でのその実現に関心を抱く存在です。ここで言う道徳とは、行儀や品行の良さをさすような狭い意味ではありません。他者に害をなすようなことを意図的に起こしていないか、向社会的な動機を持ち、他者のウェルビーイング(Well-being)に気をかけるか、公平・公正に関心をもつか、またそれに合致する行動をしているか、他者や所属する集団の「モラルセンス」を脅かすような、不快感を与えるような行為をしていないかなど、多様な「正しい、正しくない」「良い、悪い」「望ましい、望ましくない」という判断や行動にかかわる現象が含まれます。
 このプロジェクトでは、このような人間の道徳性に焦点をあて、それに関する様々な判断、特に他者の「心」(意図、性格、態度、諸能力など心的機能)の推論、さらにはその推論が責任の付与や、賞賛、罰、非難などに関する判断、道徳的(支援的・懲罰的)行動に与える影響を取り上げて議論していきます。

1.「心」の推論と道徳的判断の関係に関する問題

 
 このプロジェクトでは次のようなサブテーマを扱っています。
 

①責任や道徳的判断の規定要因としての心の推論

 責任や道徳的判断は、他者の心(意図性)の推論という高次な認知能力を用いた判断のように思えるが、本当にそうなのか?
 もしかすると、私たちの心には、道徳的感情(嫌悪とか、怒りとか、非難とか)が自動的に喚起されるような仕組みが備わり、それが、「認知により正当化」されるかたちで、他者の悪意や責任能力を判断しているのではないか?
 このサブテーマでは、そのメカニズムを明らかにすることを目的とする。
 

②集団心の知覚と道徳的判断

 会社や行政組織などに対して「責任がある」と言うとき、それは具体的にはどのようなことを意味しているのか、また、そのような責任判断は、会社や行政組織の意図の推論を前提としているのか。もしそうなら、「心」がないはずの集団に対して「心の構成要素」である意図を帰属するって、どういうことなのか?また、例えば会社が不祥事で謝罪をしたとき、「申し訳なく思う気持ち」をいったいどこに見出しているのか?
 ここでは、社会心理学の歴史の中でいったんは否定された「集団心」を対象に、その知覚と集団に対する判断との関係を明らかにした上で、集団心をどのように概念化すべきかという可能性についても考える(その意味で、科学コミュニケーションカテゴリーの概念工学とも連携します)。
 

③裁判場面における判断の規定要因

 私たちは「公的な制度」つまり、裁判の中で、正義、公正、公平といった理念がどのように果たされるべきだと考えているのか、また、それが個人の「Agency」や責任に関する信念、他者を「裁く」ことがどのようなものであるべきかという信念と、どう関与しているのか。
 さらには、これら変数の関係についての基礎的知見が、日常の対人判断、対人行動、さらには、社会制度としての「裁き」の場面である裁判において、どのくらい「適用可能」であるのか?また被害者に対して、私たちはどのような認知を持ち、またその認知が裁判場面ではどのように影響するのか。
 このサブテーマでは、裁判員制度を踏まえ、一般の人たちの裁判という特殊な場面での判断を多角的に解明することを目指す。

2.心の知覚や人間らしさ(Humanness)の知覚に関する問題

 
 このプロジェクトでは次のようなサブテーマを扱っています
 

①人間以外の存在に対する心の知覚

 私たちは、事物や動物にも心を知覚する。パソコンに対して、「怒っている」とか「不機嫌」とか、感じたことがある人は多いだろう。では、事物や動物に対する心の知覚は、それらに対する行動にどのように影響を与えるのだろうか。また、そもそも事物や動物に対して心を知覚するという現象を促進したり抑制したりする要因には、どのようなものがあるだろうか。例えば、将来「ロボット化」が進むことが予測される社会において、心を感じさせるロボットの存在は何をもたらすのだろうか。そのような問いにも答えるために、人間以外の対象における心的状態の推論のあり方とその影響について考える。
 

②モノ化・動物化とステレオタイプ的判断、差別的態度との関係

 私たちは、人を傷つけるほうが、動物を傷つけるよりも「悪いこと」であり、さらに、動物を傷つけるほうが事物を傷つけるよりも「悪いこと」と思うが、なぜそう思えるのか。また、物や動物を擬人化すること、また、人間をモノや動物化することにはどのような認知が関連し、また、その結果、どのような「道徳的・非道徳的」行動が生起しやすくなるのか。
 偏見や差別には、他集団に対する「非人間化」がかかわっていることが議論されている。他者、他集団に対する心的状態、人間らしさの推論と、集団に対する差別的な行動の関係について解明することは、偏見という社会問題に対するひとつのアプローチであると考える。

  • 日本科学哲学会第48回大会ワークショップ発表資料 (2015) LinkIcon資料
  • 日本グループダイナミックス学会第61回大会ワークショップ発表資料 (2014) LinkIcon資料
  • 「信頼」概念に関する国際比較研究:応用倫理・実験哲学的アプローチ(基盤研究(B):研究代表者 水谷雅彦)研究期間:2016~2018
  • 集団心の可能性・妥当性・限界:機能主義的視点からのアプローチ(挑戦的萌芽研究:研究代表者 唐沢かおり)研究期間:2016~2018
  • 道徳認知と社会的認知の統合的哲学研究(基盤研究(B):研究代表者 信原幸弘)研究期間:2014~2017
  • 組織の責任判断に関する統合的研究(科学研究費基盤(B):研究代表者 唐沢かおり)研究期間:2010~2013
  • 犯罪被害者の心の推論と支援的環境の構築(科学研究費新学術領域公募研究:研究代表者 唐沢かおり)研究期間:2012~2013
  1. 二木望・渡辺匠・櫻井良祐・唐沢かおり (2016). 実体性が両面価値的な集団への行動意図に及ぼす影響:エイジズムに着目して 社会心理学研究, 32, 81-91. LinkIconLink
  2. Jung, K. H., & Karasawa, K. (2016). How we view people who feel joy in our misfortune: The influence of expressed schadenfreude in interpersonal situation. Korean Journal of Social and Personality Psychology, 30, 41-61. LinkIconLink
  3. 白岩祐子・小林麻衣子・唐沢かおり (2016). 「知ること」に対する遺族の要望と充足:被害者参加制度は機能しているか 社会心理学研究, 32, 41-51. LinkIconLink
  4. Watamura, E., Wakebe, T., & Karasawa, K. (2014). The Influence of Improper Information on Japanese Lay Judges’ Determination of Punishment. Asian Journal of Criminology, 9, 285-300. LinkIconLink
  5. 白岩祐子・唐沢かおり (2014).  量刑判断に対する増進・抑制効果の検討:被害者への同情と裁判に対する規範的なイメージに着目して  感情心理学研究, 22, 110-117. LinkIconLink
  6. Watamura, E., Wakebe, T., Fujio, M., Itoh, Y., & Karasawa, K. (2014). The Automatic Activation of Retributive Motive When Determining Punishment. Psychological Studies, 59, 236-240. LinkIconLink
  7. 白岩祐子・松本龍児・内堀大成・唐沢かおり (2014). 裁判シナリオにおける非対称な認知:規定因と帰結の検討 人間環境学研究, 12, 11-16. LinkIconLink
  8. 白岩祐子・唐沢かおり (2014). 犯罪被害者の裁判関与が司法への信頼に与える効果:手続き的公正の観点から 心理学研究, 85, 20-28.  LinkIconLink
  9. 白岩祐子・唐沢かおり (2013). 被害者参加人の発言および被害者参加制度への態度が量刑判断に与える影響 実験社会心理学研究, 53, 12-21. LinkIconLink
  10. 白岩祐子・荻原ゆかり・唐沢かおり (2012). 裁判シナリオにおける非対称な認知の検討:被害者参加制度への態度や量刑判断との関係から 社会心理学研究, 28, 41-50. LinkIconLink
  11. 橋本剛明・白岩祐子・唐沢かおり (2012). 経済格差の是正政策に対する人々の賛意:機会の平等性と社会階層の認知が責任帰属に与える影響の検討 社会心理学研究, 28, 13-23. LinkIconLink
  12. 白岩祐子・宮本聡介・唐沢かおり (2012). 犯罪被害者に対するネガティブな帰属ラベルの検討:被害者は「責任」を付与されるのか 社会心理学研究, 27, 109-117. LinkIconLink
  13. 荒川歩・白岩祐子・唐沢かおり (2012). 犯罪被害者に対する理解を深めるための教育ゲーム:開発と実践 法と教育, 2, 5-15. LinkIconLink
  14. Hashimoto, T., & Karasawa, K. (2012). Victim and observer asymmetries in their reactions to an apology: How responsibility attribution and emotional empathy lead to forgiveness. Japanese Journal of Experimental Social Psychology, 51, 104-117. LinkIconLink
  15. 唐沢かおり (2010). 「動機・意図・特性の推論」 浦光博・北村英哉(編)『個人の中の社会』 (pp. 90-111). 誠信書房
  16. 唐沢かおり (2010). 「援助場面での社会的認知」 村田光二(編)『現代の認知心理学 第6巻 社会と感情』 (pp. 195-220). 北大路書房
  17. 大高瑞郁・唐沢かおり (2010). 所得による生活保障の責任帰属バイアスと社会保障政策に対する態度の違い 実験社会心理学研究, 50, 49-59. LinkIconLink
  18. 唐沢かおり・大高瑞郁・竹内真純 (2010). 中高齢者の失業に対する政策への態度規定要因:原因帰属からのアプローチ 社会心理学研究, 25, 178-187. LinkIconLink